バーを交換した後、6番の治療を始めた。まずは近心の黒ずんだ所にバーを当てる。ここはそんなに進んでいないはずだ。色づいた部分を削り取ると思った通りすぐに手ごたえが変わった。
問題は咬合面だ。手を動かしていくと、広範囲がかなり軟らかくなっているのがわかる。
「一晴、大丈夫? 疲れてきてないかな?」
切削を続けながら尋ねると、モーター音に交じるようにして、ん、と返事が聞こえた。
「休憩したいときは手挙げてね」
そう声はかけたけれど、いつものように一晴は手を挙げなかった。
ひたすら軟化象牙質の除去を続けていく。ようやく伝わってくる感触が硬くなってきたと思った矢先、一晴の体がびくりと震えた。あっ、と思った時には一晴の手が口元に伸びていた。
「一晴!?」
すんでのところでフットペダルを離し、器具を口の外に出す。一晴の手は口元で止まり、目は怯えたように俺を見ている。思わず大声を出してしまったことに遅れて気づいた。
「ご、ごめんね。痛かった?」
肩に触れて尋ねると、一晴の目に涙が盛り上がった。止まっていた手が動いて口元を押さえる。
「ごめんなさ……っ……んぅ……」
ぎゅっと瞑った目から涙がこぼれ落ちた。
「そんなつもり、なくて……」
確かに今まで削っている最中に一晴が手を伸ばしたことはなかった。無意識だったのだろう。
「大丈夫。わかってるよ」
今日に限ってそうしてしまった理由も想像はつく。きっと昔の記憶が今に重なってしまったのだ。俺とあのときの担当医も重なっているのかもしれない。
「痛いの気づけなくてごめんね」
一晴が首を横に振った。涙を拭い、潤んだ目で俺を見上げてくる。
「俺も、我慢できるって思ってたから……大丈夫。まだ我慢できる」
治療を続けてきて何度も思ったけれど、こういうところが一晴は強い。でも同時に心配でもある。頑張ることと無理をすることは紙一重だ。
「このままじゃ辛いよ。麻酔足そうね」
そう言うと、一晴の表情はほっとしたように少し緩んだ。