しばらく話をしながら麻酔が効くのを待った。今度は晃平がいつか作りたいと思っている料理の話題。学生時代に旅先で食べた中華ちまきがすごく美味しくて再現したいらしい。
「あれって家で作るものなの?」
「レシピはネットで結構出てくる。作るときは、一晴と暖にも巻くの手伝ってもらおうかな」
「いいよ」
いつもの晃平らしい話題でだいぶ体の力が抜けてくれた。ただ左頬の痺れは気になって、無意識のうちに頬に手を当てていた。
「痺れてる?」
「かなり」
「嫌だよね、麻酔効いてるときの感じ」
さっき見た晃平の歯を思い出す。晃平もこうして頬をさすっていたことがあるのかもしれない。
「……でも、これで痛くないならいいよね」
晃平が俺の目を見て微笑んだ。
「うん。大丈夫、痛くないからね」
そうして根っこの治療の続きを始めることになった。
診療台が倒されると、晃平がまず機械を手に取ったのが見えた。
「仮蓋を外すね。歯は削らないよ」
あーん、と促されて口を開ける。キュイイイィ……と高い音が鳴り始め、機械が近づいてきた。
「ちょっと響くけど、ごめんね」
歯は削らないと教えてもらっていても、感覚は虫歯を削るときに似ている。
「大丈夫?……止めてほしいときは左手挙げてね」
痛みはないからしっかり口を開けたままでいられた。しばらくすると機械が止まり、水を吸う機械で歯の周りや奥のほうを吸われた。
「仮蓋取れたから、歯の中お掃除していくね」
晃平が機械を置き、別の器具を取ったのがわかった。もう片方の手は俺の顎に添えられている。
「大きく開けてね。細い道具でゴシゴシするよ」
晃平の指が内頬を押さえる。歯の中に器具が入って来て擦られる感触は独特で、全然慣れない。
「っく」
いつの間にか息を止めていたようで、苦しくなって声が出てしまった。
「一晴?」
晃平が手を止め、俺と目を合わせる。
「だいじょうぶ」
「痛くはない?」
「ない」
「一回深呼吸してみよっか」
晃平の声に合わせて、吸って、吐く。
「うん。その調子だよ」
治療が再開され、今度は忘れないように呼吸を繰り返す。ゴリゴリ、ゴシゴシという感触は気持ち悪い。時々恐怖がこみ上げてきてうまく息ができなくなってしまうと、晃平はすぐ気づいて止めてくれた。
「痛い?」
「ううん……」
痛くないのに何が怖いのか自分でもよくわからなかった。涙が滲み出す。
「んー、一晴。どした?」
口元にあった指の力が弱くなり、頬をさすってくれる。途端に恐怖心が和らいだのがわかった。
ああ、俺は歯医者さんそのものが怖くて、それを全然克服できてないんだ。
「怖くなった?」
「たぶん。ごめん……痛くもないのに……」
「なんにもごめんじゃないよ。痛くないくらいで苦手じゃなくなるなら、一晴は今まで苦労してないんじゃない?」
「……そうなのかな」
ちゃんと口開けなきゃ、大人なのに歯医者さんが怖いなんて恥ずかしい。俺はいつもそう思っていて、晃平みたいに考えたことはなかった。
「怖くても治療受けて一晴はすごく頑張ってるよ」
治療を始める前にも言っていたことを晃平が繰り返す。
晃平は何度もそう言ってくれるのに、俺は歯医者さんが苦手な自分のことを許せていなかったのだと気づいた。俺も許せたら。
「……もう少し、できそう」
「できそう? わかった。やってみようか」
また晃平の指が口や顎を固定すると、和らいでいた恐怖心もぶり返した。
今までなら、そのことに焦りや罪悪感を抱いて余計に辛くなっていたと思う。でも、今度は少し違った。怖いけど、それでもいいんだと思えた。
水を吸う機械が口に入ってくる。注射器のような形の器具も視界の端に映った。
「一旦お薬で消毒するけど、沁みないからね」
ちょうど前回の麻酔を思い出してしまった時に晃平が声をかけてくれて、口を閉じないで済んだ。
歯の中に薬が入ってきて、続けて振動する機械も入ってきた。
「今、歯の中を洗ってるからね」
慣れない感覚で全身に力が入りっぱなしだ。そんな俺の様子に気づいてか、気持ち悪いよね、ごめんねと晃平が謝る。
「もう少しだけ根っこのお掃除したいんだけど、今日はもうしんどいかな? 次回にしようか」
「……ううん」
晃平の目を見て、大丈夫だよと手を振って伝えると、晃平は一瞬目を丸くした。でもすぐに笑顔になったのがわかった。
「やっぱ強いな、一晴は。じゃあもう少しだけさせてね」
再び、細い器具が歯の中に入ってきてゴシゴシと掃除が始まった。
初めより気持ちが落ち着いてきたとはいえ、相変わらず怖い。でも、晃平にたくさん声をかけてもらいながら今までより長い時間、口を開けていることができた。
「綺麗になってきたよ。今日はここまでにしようね」
消毒をしながら晃平が言う。
薬を入れ、仮蓋をしてから診療台が起こされた。今日の治療が終わったこと、前よりも頑張れたことへの安心感が胸に広がっていった。