翌月、なんと僕は家賃を22日に振り込んだ。やればできる。
ちょうど実家から大量の白菜が届いたので、日頃のお詫びと振込の報告をかねて小宮山くんを訪ねることにした。あの様子じゃしっかり自炊もしてそうだし、白菜が迷惑ということはないと思う。ついでに頂き物が余ったのかチョコレートの詰め合わせも何袋か入っていたのでそれも一袋つけることにした。
外に出て階段を上り、小宮山くんの部屋を目指す。彼の部屋は最上階の5階だ。良い運動と言いたいところだけど、正直ちょっときつかった。歳のせいか運動不足のせいか、たぶんどっちもだと思う。
5階まで上りきり、下の階とは違って一つしかない部屋の重厚感あるドアの前に立つ。インターホンを押してしばらく待っていると、足音が近づいてきて小さくドアが開いた。
こんにちは、と言おうとして言葉が止まった。小宮山くんの表情がとても暗い気がしたからだ。室内の照明がついていないせいかと思ったけれど、どうもそれだけではないような気がした。
「……なにか」
不審そうに僕を睨む顔はやっぱりいつもより迫力がない。
「小宮山くん、元気?」
「普通」
「普通かぁ。ならいいのかな。はいこれ」
白菜とチョコレートをそれぞれ入れた袋を差し出すと小宮山くんは袋の中を覗き込む。
「白菜?」
「うん。料理はする?」
「するけど」
「よかった! 鍋にでもしてね」
「鍋……」
なんだろう。今すごく小宮山くんの表情が曇った気がする。一人鍋なんて寂しいとかそういうやつかな。
「僕でよければ一緒に鍋する?」
「ぜっったいにお断り。まさかとは思うけどそういう魂胆で持ってきたの?」
「まさか! 小宮山くんにはいつもお世話になってるし、その、家賃とかでご迷惑をおかけしてるので持ってきました」
「そうなんだ」
「そうなので、ぜひ」
半ば押し付けるようにしてようやく小宮山くんに白菜の袋を受け取ってもらうことができた。ありがとう、という小さな声に調子に乗ってチョコレートの袋も押し付けようとすると、手を伸ばしかけた小宮山くんは中身に気づくと一転、手を引っ込めてゆっくりと僕を見た。その顔に表れていたのは不安というか、恐怖というか。いつもの強気な小宮山くんではない。なんだ、この反応。
「は、歯医者だろ、春田先生。それともわざと?」
「うん? 僕もチョコくらい食べるしね」
「いらない」
目を逸らして声を震わせながら小宮山くんは袋をはねのけた。甘いもの、嫌いだったっけ。それとも嫌いじゃないけど控えてるとか?
「……ごめんね?」
「別に、俺が、き……嫌いなだけだし」
「嫌いかぁ。ごめん。覚えとく」
次になにか差し入れするときはチョコレートは避けよう。もしかして甘いもの全般避けたほうがいいのかな。あれ? でも、前にクッキーを持っていったときは結構喜んでくれたような。言葉はともかく顔に出てたと思ってたけど、勘違いだったのかもしれない。
今日はまったく嬉しそうじゃないし、ご機嫌斜めというか元気がないし、そろそろ帰ろうかな。じゃあ、と言いかけたところで家賃の話をしていないことを思い出した。
「そうだ! 小宮山くん、今月は今日家賃入れたからね!」
小宮山くんが少しだけ目を見開いた。これで僕のことを見直してほしい。そう思っていたけど、小宮山くんはさすがの塩対応だった。
「当たり前だから、そんなの」
「そうですね」
「春田先生のとこ行く手間が省けてよかった」
「すみませんいつも」
「今月だけで終わらないでね」
「気をつけます」
やっぱり一回くらいでは無理か。見直してもらう道のりは遠そうだ。おとなしく帰ろう。
「じゃあ、またなにかあったら持ってくるね」
「お気遣いなく」
「まあそう言わずに」
またね、とドアを閉めようとするのだけど。なんだか閉まりにくい。
「……あの、さ」
小さな声にふと力を抜くとさっきよりドアが大きく開いて小宮山くんが外に出てくる。薄手のシャツ一枚では寒かったのか、小宮山くんが一瞬きゅっと目を瞑った。
「どうかした?」
いっこうに話し始めようとしない小宮山くんに問いかけてみると、何か言いたげに僕のほうを見たり視線を逸らしたりを繰り返す。しばらくそうしたあと、小宮山くんは俯いた。
「やっぱり、なんでもない」
「え?」
「さよなら」
なにもわからない僕をひとり残して、目の前のドアが音を立てて閉まった。
やっぱり今日の小宮山くん、ちょっとおかしかったな。首を傾げつつも自分の部屋に戻ることしかできず、階段のほうへと歩き出す僕の背後で鍵の締まる音が聞こえた。