翌日は自分で言うのも躊躇われるが絶不調だった。心身ともに重だるいわ歯は痛いわ、いっそ仕事を休んでしまいたいと思うくらいだった。それでもこんな私情で休むわけにも仕事でミスをするわけにもいかない。なんとか午前の診療を終えた頃には1週間分の仕事を一気にこなしたのではないかというくらいの疲労感があった。
どうすれば少しでも気が楽になるだろう。いつもなら同僚たちとの会話に加わるところだがそんな気分ではなく、スタッフルームの隅でひとり、コンビニで買ってきたおにぎりを右側で咀嚼しながら考える。歯を治療すれば、少しは罪悪感が消えるだろうか。
やり直す機会はたくさんあったのにこうなってしまったのは間違った選択をし続けてきたからだと思う。あれもそうだ。本条に検診してもらいたかったのに、他の医院で診てもらったと嘘をついたこと。あの嘘を本当にしてしまえばなにか、せめて自分の気持ちだけでも変わったりしないだろうか。
脇に置いていた携帯の電源を入れる。本条じゃなければ誰に頼むか、ずっと結論は出ていなかったが連絡先の一覧を見ながらもう一度考える。こうして見てもやはり治療を頼みたくなる友人や知人はあまりいない。学会やセミナーで会って連絡先を一度交換したきりの人物もいる。いっそネット検索でもかけて一から歯科医院を探したほうが早いか。そんなことを考えながら画面をスクロールし続けていると、とある大学時代の同期の名前を見つけて手が止まった。
馬渕。少し遠方にいるせいで今まで選択肢から除いていたが、ありかもしれない。本条とも仲が良かった奴なので本条に話が行くかもしれないのが気がかりだが、口止めさえしておけばなんとかなるだろう。遠方にいるなら俺が彼の歯科医院に行くところを本条に偶然見られる可能性も低い。
トーク画面を開くと、約2ヶ月前、彼の誕生日に少しやりとりをしたきりになっている。「久しぶり」と送り、返信を待つことにした。
しかしなかなか返信は来なかった。同業者でも勤務形態は様々だ。休憩時間が同じとも限らない。諦めて午後の準備にかかろうと立ち上がりかけた時だった。
「内田先生、います?」
声がしたほう、スタッフルームの入口に目を向けると衛生士の一人が顔を覗かせていた。
「どうかした?」
歩み寄って尋ねると、彼女は少し困ったように俺を見上げてくる。
「なんか、内田先生に用があるってお客さんがいらっしゃってるんですけど……」
「客? 患者じゃなくて」
彼女は頷いたが、全く心当たりがない。アポなしで勤務先にやって来るなんて、変な営業かなにかじゃないだろうな。
「どんな人」
「歯科医師だって仰ってます。これを」
差し出された名刺を見れば、たしかに歯科医師の文字。苗字は花北。聞き覚えがない。あまりにも怪しいし、この調子の悪い日に面倒臭そうなことこの上ない。
「お断りしましょうか、午後の診療まで時間もないですし」
そうしてもらおうかな、と言いかけたのだが。名刺の勤務先の欄に目が止まった。本条の前勤務先。まさか。
「内田先生?」
「……いや、会うよ。カウンセリングルーム使っていい?」
「いいと思いますけど、大丈夫ですか」
「大丈夫。午後には間に合うようにするから。待合室にいるの?」
「はい」
不安げな衛生士の視線を振り切り、俺は待合室へと向かった。