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 気づいたのは、右上6番にクラウンを入れた後だった。7番のインレーとも相まって見た目にはあまり良いものとは言えないかもしれないが、適合や咬合は細かに確認をして調整を行い、俺にできる最善は尽くせたと思う。
 そうして治療を終え、あとは本条と話をしよう、それがうまくいけば以前するつもりだった左上の治療でもできればと、ふとその歯に目をやった時。本当に、僅かな違いだった。もともと見た目にはわかりにくかった虫歯だ。だが、以前よりほんの少し白っぽさが増しているのと、問題はない範囲だが少しコンタクトがきつそうに見えたせいで気づいてしまった。
「内田?」
 本条が不安そうに見上げてくる。目が合った瞬間、思わずなにか言いたくなったのを慌てて堪え、診療台を起こして本条にうがいをするよう促した。
 俺は今なにを言おうとした? お前、別の歯医者行けたんだな。本当に誰でもよかったのかよ。なんで今さら。そんなどろどろとした言葉を、俺は全部飲み込んだ。
「……左上。治療できてよかったな」
 うがいをしていた本条がゆっくりとこちらを振り向く。
「よかったと、思うか」
「当たり前だろ? もともと、俺がそのほうがいいと思うって言ったんじゃねえか」
 じっと俺の顔を見てくる本条から目を逸らし、用意していた謝罪の言葉もせりあがってくる言葉も思いつく限りのセリフで上書きしていく。
「正直さ、お前がなかなか別の歯医者行かないからまた俺が治療しないといけないのかと思ってたんだよ。でも俺がやるよりずっと綺麗に直ってるし、やっぱ別のとこ行って正解だったな。上手い先生みたいでよかった。安心した」
 話しながら、ほとんど自分に言い聞かせているだけだと気づいた。嘘じゃないはずだ。もっと、本条に向けて話さないと。そうだ、安心しているような顔もしないと。
「内田、どうしてそんな顔をするんだ」
「はあ? なんか変な顔してるか?」
 上手く表情は作れているつもりだった。なんだか少し歯が痛む気がしてきたが、顔を歪めるほどの痛みでもない。それなのに返ってきたのは遠回しの肯定だった。
「……そんな顔をされると、俺は」
 本条が口を噤む。そんな顔をされるとって、なんだよ。こっちが言いたい。今まで俺が治療するときに散々困った顔や不安そうな顔をしてきたのに、ましてや別の歯科医から治療まで受けておいて、今さらその縋るような目はなんだと無性に腹が立ってくる。
 本条が続きを言いかけたのを遮るように俺は立ち上がった。
「じゃあ、俺は今日で終わりな。これでやっと休みにゆっくりできるわ」
 呼び留める声はなかった。俺も振り向かずに診療室を出る。本条は今日もばかみたいに正面の入口を開放していたからそこから出るつもりで待合室のほうへと向かった。
 待合室から外を眺めると空には厚い雲がかかっており、照明のついていない室内は薄暗い。もうここには来ないんだなと少し周囲を見回してから外に出た。後ろ手に扉を閉めて、俯く。
 すべて解決して、ここから帰るつもりだったのに。俺がぶち壊した。最後の最後まで本条を傷つけただけだった。
 喉が苦しい。溢れ出しそうなものを抑えようと噛み締めた歯がずきりと痛んだ。