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「左上、レントゲンを見たら深かったとか、そういう記憶はないんだね?」
 ライトをつけながら花北さんが尋ねる。仰向けになっている俺は花北さんを見上げ、頷いた。
「どちらもC1で間違いないと思います」
「わかった。それならやっぱり麻酔はいいかな。削ってCRで大丈夫だろう」
「え」
「なにか気になることがある?」
「いえ……」
 麻酔をしないことが少し心許ないだけだった。しかし今から麻酔の準備をさせるのは申し訳ないし、きっと痛みは出ないという判断なのだろう。そう思った矢先、花北さんの口からまた不安になってしまう一言が飛び出した。
「それじゃあ削っていくよ。痛かったら教えて」
 そっと口を開けると、先にバキュームが入ってくる。痛いかもしれないのか……いや、こんなのは治療前の常套句だ。気にしすぎてはいけないと自分に言い聞かせ、口元に近づいてきたミラーとタービンを迎え入れるようにさらに口を開く。すぐに聞き慣れた高い音が響き、左上で水しぶきがあがり始めた。バーの先が歯に触れ、振動が伝わってくると、嫌でも体に力が入る。
「痛くないだろう」
 言われた通り痛くはない。大丈夫だ、こんなに緊張していたら花北さんも治療しにくいだろうしもう少し力を抜かないと。そう思っているのになかなか思うようにはできなかった。そうこうしているうちにタービンが口から出ていき、バキュームで唾液を吸われる。
「どうした? そんなに緊張しなくていいんだよ」
「す、すみません……」
「別に謝らなくていいけれど」
 俺を見ずに言いながら花北さんがバーを付け替える。思っていたよりも淡々と治療する人なんだな……いや、それともこれが普通なのか。
 右上5番の治療のことをふと思い出す。たしか内田とも似たようななやりとりをしたのだ。C2だったものの比較的軽かったところで、麻酔のおかげで治療の際の痛みはほとんどなかった。しかし痛い治療が続いていた頃だったせいもあり、俺はそのときも余計な力が入っていた。「本条、お前緊張しすぎだよ」「もしかして俺けっこう怖い?」「謝ってないで深呼吸してみな」そんなことを言いながら内田がちょっと困ったように笑っていたのを思い出して、鼻の奥がツンと痛くなった気がした。
「続けていいかな」
 我に返り、はい、と頷くとまたすぐにタービンの音が聞こえてきて左上の歯が削られていく。初めての治療でもなければ削っている部分は今までよりずっと少ないはずなのに、今までにないほどの喪失感が胸に広がっていった。