後輩の検診

 ふう、今日の診療も終わった〜。
 この後は柊崎と飲みに行く予定だ。楽しみだな。
 そう思いながらうーんと大きく伸びをしていると、後ろから「早瀬先生」と声がした。
 振り向くと、この歯科医院で働き始めて1年目の後輩、高野くんが不安げな表情で俺を見ていた。

「どうしたの、高野くん」
「あの……検診してもらえませんか」

 またか。1週間前にも同じ台詞を言われたばかりなんだけどな。
 でもそれで彼の気が晴れるなら、と思って俺は頷いた。

「いいよ。じゃあ1番診察室で待ってて」

 ***

 高野くんは幼少期に何本もひどい虫歯になって、辛い思いをしたらしい。それ以来虫歯になるのが怖くなり、ちょっとでも歯に異変を感じるとすぐに確かめないと気が済まないんだとか。

「今日はどこが気になるの?」

 ミラーを手に、ユニットに横になった高野くんに尋ねると彼は目を伏せながら答えた。

「右上です。たぶん5番か6番」
「そっか。沁みた?」
「はい。昼に冷たいお茶を飲んだときに少し、そんな気がして」
「ん、分かった。じゃあ、口開けてみて」

 高野くんの唇に触れると小さな口が開く。指でそっと口内を広げながら右上にミラーを向けた。
 はあ、とため息が出そうになる。
 ひどい虫歯になったと言ってもそれはあくまで幼少期の話で、今の高野くんの歯は惚れ惚れするくらい綺麗だ。治療痕は一つもないし、歯並びだって良い。
 高野くんはよく俺に検診を頼んでくるけど、高野くんの歯を見るたびに俺がどんな気持ちになってるか分かってる?と訊きたい。絶対訊かないけど。

「5番は全然綺麗だよ。6番もねえ……ここの溝が深いのはもともとだもんね、大丈夫。どっちも問題ないよ」

 そう告げると高野くんはほっとしたように表情を和らげた。
 きっと気にしすぎなんだよね。今までにも何度となく検診を頼まれたけど、いつも気のせいか、知覚過敏か。定期的にデンタルも撮ってるけど、虫歯だったことは一回もない。

 ユニットを起こして、高野くんにうがいをしてもらう。うがいを終えると、高野くんは検診前とは打って変わって晴れ晴れとした表情で振り向いた。

「ありがとうございました、早瀬先生」
「いーえ。検診くらいいつでもどうぞ。もうちょっと間隔開けてもいい気はするけどね」
「すみません……つい、心配になっちゃって。もう治療したくないし、銀歯も、子どもの頃すごい嫌で」

 高野くんが俯いた。
 いやめちゃくちゃ気持ちは分かるし悪気はないんだろうけど、それを俺の前で言う? たしか高野くんは俺の口の中を知ってる。今年度初めの院内検診で俺の担当をして驚いていた。

「いいんじゃないの、検診して安心できるなら。こんだけ検診してれば俺みたいにはなんないっしょ」

 ついそんな言葉が口をついて出て、はっとしたように高野くんが俺を見た。

「あの、僕、そんなつもりじゃ……すみません」

 あ、しまった。気を遣われるのは好きじゃないんだけど。

「別にいいよ、俺も自分の歯嫌でさ〜。なるべくこれ以上虫歯増やさないように気をつけてんの」
「そ、そうですか」

 高野くんが曖昧に笑う。

「あ、そうだ。高野くんもまた今度俺の検診してよ」
「僕でよければ……」
「うん、よろしくね〜」

 なるべく気にしていない風を装って高野くんに笑ってみせる。
 高野くんに診てもらう前に柊崎に検診してもらっとこ。定期検診までまだ時間はあるけど、このあと柊崎に会ったら頼もう。俺は心の中でこっそりそう決めた。