診療室に時計の秒針の音が響く。
俺の話を聞き終わると、今泉先生はしばらく黙っていた。
「すみません。本当にしょうもない話で」
自嘲するように笑ったが、今泉先生はゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ。話してくれてありがとうございます」
「……お礼を言われるようなことじゃ」
「丹野くんにとって大事な話でしょう? 僕なんかに話してよかったんですか」
「今泉先生だから話せたんです、きっと。なんか、話しやすくて。自分の気持ちも少し整理できた気がするし、こちらこそありがとうございます。……でも」
話しながら気づいてしまった気持ちがあった。
「俺はやっぱりまだ穂積以外の主治医を決められない」
診てほしいと頼んでおきながら勝手だ。でも、先に伝えておかないのも気が引けた。
「すみません。今泉先生には感謝しています。でも、この先ずっと今泉先生に診てもらうということは……ないと思います。それなら診察したくないということであれば今すぐ断ってください」
本当は断られたくない。断られた後のことを考えるととても怖い。でも、恩知らずで失礼なのは承知のうえだから仕方がない。今泉先生が答えるまでの間に自分で自分を納得させようとする。
今泉先生が俺に手を伸ばしてきた。
なに……? 体を硬くすると、その手が俺の髪に触れた。
「え」
「さっき髪を触ったときに乱れてしまったみたいですよ。ちょっと気になって」
髪を整えてくれているようだが、頭を撫でられているような気持ちになる。
「これで大丈夫です。なんて顔してるんですか、丹野くん」
「だって」
「診察もまだなんですから主治医を決められないのは自然なことです。仮に穂積先生のことがなかったとしても、僕がド下手だったら二度と診てもらいたくないって思うでしょう?」
「え、ド下手……?」
「それは冗談ですが」
今泉先生は謔笑するも、すぐに落ち着いた表情に戻った。
「あまり律儀に考えなくていいんです。とりあえず夜間救急に来たと思って僕に診せてください。その後のことはまた決めましょう」
「今泉先生の腕が良くても来なくなるかもって言ってるんですよ」
「わかっているつもりです。丹野くんが元気になれるなら、診るのは僕でなくても構いません」
「……俺に都合良すぎじゃないですか」
「歯科医院とコンビニの数はよく比較されますからね。コンビニエンス歯科、いいと思いません?」
「ちょっと何言ってるかわかんないです」
今泉先生が吹き出す。
「丹野くん、そういうツッコミするんですね」
「今泉先生も急に冗談言い始めてなんなんですか」
「笑ってくれたらいいなと思って」
今泉先生はさらりと答え、微笑んだ。
「僕のことは都合良く使ってください。雨宿りみたいな気持ちで、ね」
「雨宿り……」
「誰かにとっての軒下になれるだけでも光栄です」
誰かということは、俺だけでなくいろいろな人に同じようなことを言っている想像がつく。時々夜間診療を行っているということもそれと関係があるのかもしれない。
軒下で本当に満足なのだろうか。使うだけ使って人は去っていく。それで今泉先生は幸せなのだろうか。
でも、今の俺にとってありがたい申し出であることには違いない。狡さを自覚しつつ、俺は改めて今泉先生に今日の診察を頼んだ。