今泉先生は退院後、数日自宅で休養をとったあと仕事に復帰した。
復帰する前日。雨の降る夕方、今泉先生は患者さんとして俺の職場を訪れた。診療室に入ってきた先生は白いセーターに黒いデニムというカジュアルな服装で、スクラブを着た姿しか見たことのなかった俺にはとても新鮮に映った。
「よろしくお願いします」
でも丁寧に頭を下げて診療台に座る姿はいつもの今泉先生だった。
「よろしくお願いします、今泉先生」
「あ、丹野くん」
今泉先生が診療台に座ったままこちらに身体を寄せて囁く。
「今日は先生って呼ばないでください」
たしかに患者側のときに先生と呼ばれるのは嫌かもしれない。
「じゃあどう呼びましょう」
「丹野くんのお気に召すまま。今泉さんでも、まさやんでも」
「まさやん……?」
たしかに問診票に書かれている名前は今泉誠弥だが。目の前にいる栗色の髪の男性を見る。そのあだ名が似合わないことこの上ない。
「……普通に今泉さんでいきましょう」
「はい」
今泉先生がおかしそうに肩を揺らした。その笑顔を見るに、あだ名は本気ではなかったのだろう。ジョークを飛ばしてくるなんてずいぶん余裕だ。今泉先生より俺のほうが緊張しているのではないだろうか。むしろ俺が緊張しているのを察して冗談を言ってくれたのかもしれない。
俺も頑張らないと。心の中で気合いを入れ直し、準備してあったエプロンを手に取った。
「じゃあ今泉さん、エプロンつけますね」
「はい」
今泉先生の首元に手を回し、エプロンをつける。その時、ふいに今泉先生の手が目に留まった。大きな手は、揃えて座っている脚の上で固く組まれている。
余裕だなんて思ったが、そうでもないみたいだ。エプロンをつけたあと前から覗き込むと、顔つきは思った通り硬くなっていた。
「絶対うまく治しますからね」
今泉先生は一瞬、目を丸くしたが、「ありがとう」と少し表情を和らげてくれた。