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 雨谷先生の運転する車に乗り、今泉歯科から少し離れた市民病院へ向かう。
 真冬に比べるとだいぶ日が長くなってきたが、この時間は完全に暗闇だ。大通りには車のライトがずっと先まで連なっている。
「今泉はまだ検査受けてる途中だけど、恐らく過労だって言われてる」
「過労……」
 最初に時間外診療を心配したとき、負担じゃないと言っていたのに。嘘じゃないか。
 でも自分もその言葉に甘えて加担してしまったので責めるに責められない。むしろ責められるべきは俺のほうだ。
 俯いた俺をちらりと雨谷先生が見た気がした。
「今泉のお父さん……前の院長が病気になって亡くなって、ずっと忙しかったからな。そのうえ朝早くから夜遅くまで働いてるし……。今朝出勤してきたスタッフが倒れてる今泉を見つけてさ。救急車呼んで、俺にも電話をくれたんだよ」
 雨谷先生は今泉先生の事情をよく知っているようだ。他にも聞くことはあるはずなのに、気になってつい尋ねてしまう。
「あの、雨谷先生は今泉先生の……」
「友人。大学の同期でね。でもあいつ親族はもういないから、一応俺が緊急連絡先になってる。つっても、できることには限界があるけど」
 ハンドルを握る雨谷先生の左手薬指には指輪がはめられている。
「丹野くんは?」
「俺?」
「そう。今泉とどういう仲なの」
 答えに詰まる。俺と今泉先生の関係はきっと友人とは呼ばない。それならば何だろう。
 出会いや過ごした時間は俺にとっては大切だが、今泉先生にとっては恐らく違う。今日きりで会わなくなっても未練はなさそうだった。
 時間をかけて考えた挙句、選択できる言葉は一つしかなかった。
「ただの患者です」
 バックミラー越しに窺うと、雨谷先生の表情が少し険しく変化した。
「今泉の話じゃそうは思えなかったけど。だいたい、ただの患者をお見舞いに連れていくわけないだろ」
「どういう意味ですか」
 思わず横に身を乗り出すと、雨谷先生が口の端を上げたように見えた。
「今泉、ぶっ倒れてるのに代診のために丁寧に患者説明してくれてさ。全員分丁寧だったんだけど、丹野くんはプライベートでも付き合いがありそうだったから。で、今泉にもさっきの質問したんだよ」
「どういう仲なのか、って?」
「うん。そしたら『袖振り合った仲』だって」
「……他生の縁?」
「そういうこと。ロマンチストなんだよな、今泉のやつ」
 たとえわずかな間の交流であっても今泉先生も俺と出会ったことを大切に思ってくれていた、という解釈でよいのだろうか。
 しかしまだ自信はなかった。
「今泉先生は知り合った人全員のことをそう思ってるんじゃないですか」
「否めない。 でもあいつがまどろっこしい言い方をするときは、たいてい大事なときなんだよ」
「まどろっこしい言い方?」
「たまに独特の言い回ししない?」
 すぐに思い出したのは、俺が甘えた言葉だった。
「『軒下』とか」
「軒下?」
「『誰かにとっての軒下になれるだけでも光栄です』って……」
 ずっと診てもらうことはないと思うと話したときに今泉先生はそう言って受け入れてくれた。それで今泉先生は幸せなのか案じつつも、執着がない人なのかもしれないと一度は目を逸らした言葉だ。
「今泉の言いそうなことだ」
 雨谷先生が溜息をついた。他人のこと勝手に話すのはよくないけど、と前置きしつつ続ける。
「今泉は、そうだな……あいつみたいな語彙だけど、巡り合わせが悪いっていうかね……。両親は早くに離婚してるし、本人は高嶺の花すぎて同級生とかから距離置かれがちだったし。やっと恋人ができたと思えば周りのやっかみがすごくて別れたり」
「そんなことが……」
 容姿と性格を兼ね備えていてもそんな経験をするのだから、つくづく人の幸不幸はわからないものだ。
「だから最近は諦めてるみたいだった。『軒下』も初めからそう思っておいたほうが辛くなかったんだろうな。……そんな今泉が、ただの知人とか患者とは言えなかったんだよ。丹野くん」
 高台に市民病院が見える。車はラッシュの列を抜けて右折レーンへ入り、上り坂へと曲がった。