知らない固定電話だったので迷ったが、フリーダイヤルでもなく市外局番がこの近辺だったので出てみることにした。
「今泉歯科医院と申します。丹野さんのお電話でしょうか」
女性の声だった。いつも受付をしてくれるDAさんだろう。
「はい、なんでしょう」
「突然のお電話失礼します。実は、今泉が体調不良で急遽お休みを頂くことになりまして……代診となるので、確認でお電話いたしました」
「体調不良?」
「はい。申し訳ございません」
「いや、それは仕方ないですから。でも……予約は別の日に変えてもいいですか」
今泉先生に会って直接話したい。歯科医院にとっては予定通り今日行ったほうがよいのだろうと思いつつも、今回は譲れなかった。
しかし、DAさんの反応は芳しくなかった。
「……それが、いつ今泉が復帰するかはっきりしない状況で」
「そんなに悪いんですか」
「ああ、いえ、それも、なんとも……」
状況がよくわからない。ただの風邪などではないのだろうか。しかしこれ以上尋ねても困らせてしまいそうだ。
「すみません。えっと、じゃあ予約は……」
「今泉が戻り次第こちらからご連絡することもできますが、仮歯ですし、できれば早めに処置をされたほうが良いのではと今泉も申しておりました」
ということは、今泉先生と引き継ぎはできているようだ。それならやはり大事ではないのだろうか。
迷った末、今日は予定通り受診することに決めた。予約を変更すると面倒をかけてしまいそうだし、行ったほうがスタッフの誰かに今泉先生の状態も聞けるかもしれない。今泉先生と会う目的はまた後日でも果たせるだろう。
夕方、今泉歯科を訪れると、予約の時間より早くDHさんが呼びに来て診療室へ通された。今まで遅くなったことはあっても早くなったことは一度もなかった。
今泉歯科にはユニットが3台あり、各ユニットは完全に区切られてはいないがパーテーションというにしては厚みのある壁で仕切られている。俺が今日通されたのは真ん中のユニットだった。
エプロンをつけられ、先生が来るまでしばらくお待ちください、と言ってDHさんはユニットを離れた。
なんだか落ち着かない。落ち着かないというよりは居心地の悪さのようなものを感じる。恐らくその正体は、隣のユニットから聞こえてくる歯科医師の声だ。まるで違う歯科医院に来たように感じる。
「お待たせしました」
しばらく待っていると、その声がすぐ後ろで聞こえた。振り返ると、黒髪の歯科医師がスツールに腰を下ろしていた。
「はじめまして。今日は代診で担当させていただきます、雨谷です」
俺がじっとその顔を見てしまったせいか、雨谷先生がマスクを顎まで下げる。活発そうで健康的な印象の容貌が現れた。年の頃は今泉先生と同じくらいだろうか。
「今日は急遽代診となってしまい、申し訳ありません」
「いえ、謝らないでください。今泉先生は大丈夫なんですか」
雨谷先生はさっと周囲を見回す。ユニットのそばにはちょうど誰もいない。
「実は今朝、倒れて」
「え!?」
「入院してます。……でも大丈夫ですよ」
「え、でも」
俺をユニットに案内してくれたDHさんが戻ってきた。雨谷先生は声をひそめ「また終わってから」と言うとマスクを引き上げた。
「椅子、倒しますね」
雨谷先生の対応や手技に不安になる要素はなく、さすが今泉先生が任せた人だと感じた。
ただ、頭の中は今泉先生についての不安でいっぱいだった。今どうしているのだろう。辛い思いをしていないだろうか。倒れた原因は。病気なのか。……また会えるんだよな?
考えているうちに、気がつけば右下6番のクラウンセットは終わっていた。
「丹野さん……いや、丹野くんって呼んでいい?」
処置が終わった後、マスクとグローブを外しながら雨谷先生が言った。
「はい」
「いきなりだけど、このあと時間ある?」
「ありますが……」
「少し付き合ってくれない。今泉の様子見に行くから」
「俺もいいんですか」
「うん。今泉が会いたいんじゃないかと思って」
その意味はよく理解できなかったが、 今泉先生に会いたいと思うままに俺は誘いを受け入れた。