初めて同僚に検診を頼んだ。
「ここ……穴空いてるな」
沁みるのが気になっていた右下5番と6番の間を探針で引っ掻きながら、ひとりごとみたいに彼が呟く。酷いのだろうか、と見上げると彼ははっとしたように手を止めた。探針とミラーが口から出ていく。
「悪い。痛かったか」
「いや」
「よかった。まぁ、ここは治療だな。あ、ちゃんと麻酔して痛くないようにするから。大丈夫だからな」
俺をじっと見て言う彼は滅多に見ないような笑顔で驚……いや、正直、少しゾッとした。普段はクールぶってるのにどうした? いいように解釈するならあの笑顔で「大丈夫」な感じを表そうとしたとも取れるけれど。
「他も全体的に診ていいか?」
「ああ」
若干戸惑いつつ口を開けるとミラーが入ってくる。もう少し開けられるか、と指で頬の内側がそっと押された。
口の中をミラーが動いていく。
……なんだかな。こんなやつだっけ。さっきの台詞といい笑顔といい、触れ方といい……
ぼんやりと考えるうちに、いつの間にか口を閉じかけていたらしい。カチリとミラーが前歯に当たる。
「ん」
「わ、悪い」
なんでこいつがこんなに動揺してるんだ?
「虫歯とかじゃないからな」
「ん? うん」
「ただ、ちょっと歯石が気になるからあとで取ってもいいか?」
「いいけど」
また違和感。そうか、いちいち許可を取ろうとしてくるからだ。こいつはもっと淡々としているイメージだったし、俺でも普段ここまで患者に気を遣わない。「他の所も診ていきますね」とか「あとで歯石取りしてもらってくださいね」とか言ってわりとこちらのペースで進めてしまう。
もしかして、こいつはいつも患者さんに対してこんな応対をしているんだろうか。意外だったけれど、見習うべきかもしれない。
「えらいなお前」
「? お前もえらいと思うぞ」
「は?」
「検診、早めに頼んでえらいじゃないか。頼むのは勇気がいっただろ」
「……いや、それほどでも?」
「無理はするなよ」
や、やっぱり優しすぎないか!?
仕事モードのこいつえらいな!
と、思っていたんだけれど。
「……麻酔します、少しチクッとしますよ」
パーテーションで隔てられたすぐ隣から今聞こえてくるのはなんだ? カルテを書く手が止まった。声は間違いなくあいつだ。でも、この前俺の治療をしてくれたときはあんな言い方じゃなかった。どう言ってたか……そうだ、俺が断ったにも関わらず表面麻酔までしたから、痛くないとか大丈夫とかやたら言っていた。
今日の言い方だと表面麻酔はしてないんじゃないか? 大人に表面麻酔はしないのがうちの医院のデフォルトではあるけれど。
「先生? 大丈夫ですか、手止まってますけれど」
「ああ、ごめん」
片付けをしてくれていた衛生士さんに指摘されて、慌ててカルテの続きを書き始める。
「ねえ」
「はい?」
「隣のさ、彼。いつもあんな感じ? 患者さんに対して」
カルテから目を上げずに訊く。器具の触れ合う音が止まり、うーん、と衛生士さんの声がした。
「そうですね。あんな感じ、だと思いますけど。……でも私は悪いって思ったことないですよ? 別に怒ったりイライラしたりとかないですし、ちゃんと親身になってくれるし」
「ああ、俺も悪いって言いたいんじゃなくて」
「どうしたんですか急に」
「いやぁ……実はさ、彼が患者さんにめっちゃくちゃ気を遣ってるというか優しくしてるのを聞いちゃって、なんか気になって」
「そんなことあったんですか!?」
予想以上の食いつきにびっくりして思わず顔を上げた。
「私も聞いてみたかったな〜。もしかして小さな子とか高齢の方とか?」
「いや、俺……と同じくらいの歳」
「そうなんですか!? あ、気難しい方だったとか」
「そんなはずないと思うけど」
「じゃあまさか好きな人だったとか?」
「すっ……?」
「なーんて。冗談ですよ。先生に限ってそれはないですよねぇ」
笑いながら器具の載ったトレイを持ち上げた衛生士さんはそのまま診察室を出ていってしまった。
好きな人。なるほど。
………………なるほど?
「えっ」