ハレーション - 5/14

「あ、いたいた。匡ちゃん」
 匡一が滅菌室で片付けをしていると、診療を終えた皓大が入ってきた。
「大丈夫? さっき調子悪そうだったけど」
「……大丈夫」
 皓大から顔を背けて答える。
「なんか怒ってる?」
「怒ってないよ。調子も悪くない。さっき、俺に任せてくれたって大丈夫だったのに」
「ごめんごめん。体調悪いなら休憩なり早めに帰るなりしたほうがいいかなって思って。本当に大丈夫なのね?」
 念押しするように尋ねられ、匡一の胸に不安がよぎった。
 もしかして皓大はもう気づいているのではないか。単なる不調ではなく、虫歯を放置し続けて今日のような失態を犯してしまったということに。
「疑ってるの?」
 その問いは匡一が自分で思っていた以上に強い口調で放たれた。皓大が目を見開く。
「……匡ちゃん?」
「何か気づいてるんじゃないの? 言いたいことがあるならはっきり言ってよ」
「匡ちゃんが心配ってこと以外はなんもないよ?」
 皓大の純朴な人柄はよく知っている。でも、匡一は自分が嘘塗れだということも知っている。だからそんな自分のことを信じている皓大のことも、今は信じられなかった。
 疑いは焦燥に変わっていき、とうとう自白するような言葉が口をついて出た。
「自分の虫歯を放置してるような人に患者さんは任せられないって思ったんじゃないの」
 たっぷり5秒ほどの沈黙。その後に、「え」と虚を突かれたような皓大の声が匡一を全く疑っていなかったことを物語っていた。
「……匡ちゃん、歯が痛いの? 前から痛かったとこ?」
「放っといてよ」
 皓大の横を通って滅菌室を出て行こうとしたが、それを妨げるように皓大が壁に手をつく。
「放っとけないよ。歯医者さんの予約、まだ先なの?」
「……そんなわけないでしょ」
 今回ばかりは皓大のことを馬鹿なんじゃないかと思った。近いうちに診てもらう、予約を取ったと話したときから1ヶ月以上経っている。
「行ったけどよくならなかった?」
「違う! なんで分からないの!」
「分からないよ。ね、話して? 匡ちゃん」
「もういい」
 この人はどこまで自分を信じるつもりなのだろう。裏切られたと分かったらどう思うだろう。本当のことを話す勇気が出なかった。
「通して」
 皓大の腕を押す。日焼けした筋肉質な腕は少しも動かない。
「かかりつけがあるみたいだから気が引けるけど、俺でよければいつでも診るよ。今からでも——」
「皓大には見られたくない」
 食い気味に言うと、皓大の手が壁を離れた。
「……そっか」
 いつもの明るさがすっかり失われた声と表情。
 匡一は俯いて逃げるようにそこから立ち去った。