ハレーション - 3/14

 同じ歯科医院で勤務するようになってすぐ、皓大は匡一に歯のメンテナンスを頼むようになった。
 大臼歯は全てCRかインレーが入っていて、左上6番はクラウン。他の歯も所々治してある。そんな口の中を見ると匡一は痛々しく感じてしまうことがあったが、皓大に対してはそれがなかった。
 痛々しくはないが、チェアの上ではいつも分かりやすく緊張しているので歯医者が苦手なんだな、とは思う。
「一旦うがいしてね」
 スケーリングが終わり、チェアを起こすと皓大は座ったまま伸びをした。
「あー終わったあ」
「うがいしたらポリッシングするよ」
「えー」
「えーって、分かってたでしょ?」
「そうだけどさ」
 うがいをして、皓大が背もたれに背中をつけたので再びチェアを倒していく。ライトをつけると皓大はいかにも嫌そうな顔をした。
「苦手なんだよ」
「痛くないのに?」
「ポリッシングさあ、結構ぐいぐい来るじゃん。歯に振動がくる系はマジで無理」
「電動歯ブラシみたいなものでしょ」
「電動歯ブラシも嫌」
「わがまま言わないの。始めるよ」
 まずはブラシで歯の表面を磨いていく。皓大は少し体に力が入ってはいるもののしっかり口を開けていた。
 苦手なのにこうして定期的にメンテナンスを頼んでくるところも匡一とはまるで違う。自分は全然だめだ、と思うと同時に左上6番が疼いた。
 一旦ブラシを口から出し、ジェルを付ける。
「開けて」
 指で唇に触れる。ところが皓大は口を開けず匡一の顔をじっと見ていた。
「もう、苦手なのは分かったけど——」
 徐に皓大の手が伸ばされ、匡一の左頬に触れる。痛む場所を指先がかすめ、匡一の肩が小さく跳ねた。
「な、なにするの」
「痛い?」
「……なんの、こと?」
 しらばっくれてみたが、本当は分かっていた。さっき痛みを感じた時、たぶん顔を顰めた。皓大にそれを見られたのだ。
「ごめんね急に」
 皓大の指が頰から離れていく。だが、下からの視線は向けられたまま。
「飲み会の後から気になってた。匡ちゃん、時々痛そうにしてるよね」
「……俺に『虫歯なんかあるわけない』んでしょ」
「そう言っちゃったのもごめん。でも、今も絶対虫歯だと思ってるわけじゃないよ。痛いなら俺に何かできない?」
 匡一を見上げる皓大の目は患者に接するときのそれに似ている。
 診てもらったほうがいいに決まっている。治療することになっても皓大なら腕は心配ない。分かっているのに、こんなときに限って滑らかに嘘が吐けてしまった。
「皓大に診てもらわなくても、かかりつけがあるから大丈夫」
 皓大が相好を崩す。ああ、友人の顔に戻った、と感じた。
「ならよかった。近いうちに診てもらえそう?」
「もう予約入れてるよ」
「さすがー」
 曇りのない笑顔は匡一を信頼していることの証だ。嘘を吐かれているなんてきっと夢にも思っていない。
「手止めてごめんね。続きやって」
 皓大が自分から口を開けた。ブラシを口の中に入れる。体の内側に触れているのに、皓大との距離はとても遠く感じた。