大嫌いな音が口の中から響く。
彼氏の祥との旅行中、家に帰る前日に歯が痛み出した私は、よく知らない歯科医院で歯の治療を受けている。
私の左側には祥。さっきまで待合室で待っていたけれど、治療中に動いてしまう私に痺れを切らした担当医がここまで呼んできた。
「あっ、あぁ……ん……」
激しい痛みに祥の手をきゅっと握ってしまうと、「もう少し我慢しようね」とその手がゆっくり撫でられた。
ふいに機械の音が止まる。
ミラーを使ってじっくり観察されて、ぼそりと一言。
「これ、神経取ったほうがいいかもな」
息が止まりそうになった。
神経を取る、って……やったことある。たしかまだ大学生だった頃。あの、すごく痛かった治療だ。
「やだ……」
「清乃」
「やだっ……やりたくない……」
窘めるように私を呼んだ祥に向かって泣きながら訴えると、彼は困ったように担当医に尋ねた。
「どうしても抜髄しないといけませんか」
「残しても痛み出すと思いますが。……まぁでも、この様子ではね」
ちら、とわたしを見た担当医の視線。すごく嫌なものを感じて、声も出なくなる。
ぽろぽろと涙を零すだけの私を見て、祥は一瞬眉根を寄せるとまた担当医に尋ねた。
「見てもいいですか」
「はい?」
「俺、実は歯科医なんです。状態を見てもいいですか」
大きなため息の後、しばらくしてから「どうぞ」と呆れたような声が聞こえた。
祥の大きな手が私の涙を拭ってから、頬に触れる。
「いや……」
「清乃、痛いことはしない。見せて」
有無を言わさぬような祥の声に、恐る恐る口を開ける。治療中の、右下の一番奥の歯に祥の視線が向けられるのを見ていられなくて、ぎゅっと目を瞑った。きっと、汚くなってるのに。
いつの間にか息も止めてしまっていた。祥の手が離れていって、やっと息を吸う。
「……このまま閉じてもらえませんか」
「それは構いませんが、どうなるかは目に見えていませんか」
「なにかあれば、あとは俺がやります」
また、大きなため息。
「今さらですか? こうなる前に診てあげればよかったのに」
祥が、怒られてる。私のせいだ。ずっと前から歯が沁みたり、時々痛みもあったのに、祥に隠していたから。
「……そうですね」
祥の悲しそうな声が胸に刺さった。