似たもの同士 番外編

「透真さぁ、わさび食えるようになった?」
 毎年夏休みになると治療勧告書を持って来院する、顔なじみの高校生。診療台を倒し治療の準備をする間もいろいろと話しかけてくる。
「もともと食えるから。あと透真じゃなくて安永先生な」
「じゃあ今度寿司連れてってよ安永センセイ」
「連れていきません。そういうお前は? お前も苦手って言ってただろ」
「え? もう1年くらい前から食べられるけど」
「まじかよ。そうかぁ、歯医者来ない間にわさび食えるようになったのか……」
「は、歯医者来ない間には余計だろ」
「だって3ヶ月に1回来てほしいって言ってるのに夏休みにならないと来てくれないんだもんなぁ」
 ミラーを片手にわざとため息まじりに言ってみると、「忙しくって……」と急に勢いがなくなった。
「まあ、ばっくれずに夏休みにはちゃんと来るからまだいいけどな」
 口が裂けても言えないが俺は治療勧告書をもらって2年放置した実績がある。それに比べたら、治療勧告書をもらって2、3ヶ月であろう今の時期に受診するなんて大尊敬だ。爪の垢を煎じて昔の俺に飲ませたい。
「じゃあ始めるか。麻酔からな」
「あ……麻酔、いる感じ?」
「微妙だけど、したほうが安心かな」
 あまり痛みに強くないそうで、いつもは積極的に麻酔してほしいと言う子だ。
 ところが、今日は渋っているようだった。
「麻酔いらないかと思って、終わったあとカノ……友達と遊ぶ約束しちゃったんだけど……」
 カノジョって言おうとしたよな今?
 絶対言いかけたよな?
 そういうことか。確かに麻酔が効いたままデートは最悪だ。例え彼女がいいよと言ってくれても自分が許せない。それに治療が終わる頃にはちょうど昼時だ、遊ぶついでに何か食べる予定もあるだろう。
「じゃあ麻酔しないでやってみるか?」
「え、いいの?」
「いやこっちがいいの?だよ。はっきり言って痛いかもしれないから」
「うーん……痛くないかもしれないんだよな?」
「そうとも言う」
「……じゃあ、我慢できるとこまで麻酔なしでやってみる」
「わかった。無理そうだったら麻酔するから、すぐ教えてな」
 ライトをつけ、ミラーを近づけると緊張した面持ちで口が開かれた。
 衛生士さんにバキュームを入れてもらい、ミラーとタービンを右下7番に向ける。溝が茶色く色づいている部分にバーの先を当てて削っていくと、内部にも齲蝕が広がっていた。
「止めてほしい時は左手挙げてな」
 そう声をかけ、表情も時々確認しながら治療を進めていく。象牙質の齲蝕はあまり時間をかけずにほぼ取り切れたが、遠心に1ヶ所深い部分があった。
 痛みが出る前に一旦タービンを置き、ワンチャンこれで終わらないかと齲蝕検知液を使ってみるも、しっかり赤く染め出されてしまった。
「もう少し削るけど、大丈夫か?」
「ん」
「じゃあ頑張るか。何度も言うけど止めてほしくなったら左手な」
 頭部の小さなバーに替え、慎重に手を動かしていく。それにしても思っていた以上に深い。本当にまだ痛くないのか……?と心配になってきた頃、「んぅ」と小さな声が聞こえた。
「おい、痛いだろ?」
 器具をすべて口の外に出して尋ねる。
「ん……痛い……」
 そう言って見上げてきた目には涙が浮かんでいた。
「なんで早く言わないんだよ」
「もう少しで終わるかと思って……」
「あー……俺ももう少しって言ったからな……ごめんな?」
「まだ終わらない?」
 患歯の状態を思い出す。時間にすれば恐らくあと5秒くらい、もう一度検知液を使って取り残しがわかったとしても削る時間はトータル10秒程度じゃないかと思う。それを伝えると、「じゃあ我慢する」という答えが返ってきた。
「マジで? 俺だったら我慢できねーよ」
「俺は透真じゃないし」
「たしかに患者さんがそれぞれ選ぶことだけどさ……本当に麻酔しないほうがいいのな?」
 答えは変わらなかったので、気乗りがしなかったが麻酔はせず治療を再開した。
「ん……!」
 バーの先を歯に触れさせると、またしても声があがり、口が閉じかけた。
「おっきく開けててなー」
 ミラーで頬の内側を広げながら検知液を塗り、洗い流す。うっすらと染まった部分があるのを見て嫌だなと思いながらもエキスカを手に取った。
「最後、1、2回カリカリってするよ」
 ん、という返事は泣きそうな声に聞こえた。自分で選んだこととはいえ、痛がっている様子を見ると俺も辛い。
「すぐ終わらせるからな。あーん」
 閉じかけていた口をもう一度開けてもらい、検知液で染まった所を削ぐ。
「あっ……あはぁ……」
「よし、終わったよ。詰めていくからな」
 ロールワッテで涙を拭ってから、レ充に取りかかった。

「はい。どうよ」
 治療後に鏡を渡し、治療した歯を確認してもらうと「すげー」と歓声があがった。
「30分以内は飲食控えてな。今日に限らず硬すぎるものは気をつけたほうがいいかも」
「わかった」
「頑張ったな」
 ぽんと背中を叩くと、照れ臭そうにしながら診療台を降りてお礼を言ってくれた。
「じゃあな。デート楽しめよ」
「でっ、デートじゃないし」
 顔を真っ赤にしながら帰っていったのも可愛らしかった。
 わさびが食えるようになってもやっぱり高校生だよな。