一歳上の姉、唯蕗が来るのはいつも突然だ。飲んでいたら終電を逃したから泊めてとか、明日早く出勤しないといけないから泊めてとか、俺の家は無料の宿じゃないんだけど。
それもこれも唯蕗の自宅より俺の家のほうが何駅も会社に近かったせいで、今回の引越でさらに1駅会社に近づいてしまったからそのうち居候しだすんじゃないかと心配だ。
「唯蕗も引越したら?」
「忙しいし困ってないからいい」
「俺の家込みで考えて困ってないとか言うのやめてくれる?」
つい最近もそんなやり取りをした。さすがに居候は絶対に阻止するつもりだけど、泊まりに来るのはもう仕方ないかなと諦めかけている。
「で、今日はなんで泊まりに来たの」
柊崎が帰った後、唯蕗がピザを食べたいと言うのでデリバリーを頼んだ。それを待つ間、荷解きを手伝ってもらいながら唯蕗に尋ねる。
「こうやって手伝うため」
「嘘だぁ。……あ、食器はあっちの棚ね。終わったらゲストルームも片付けといて」
「嘘だとか言いながらこき使ってくれるじゃない」
ちょっとは感謝しなさいとぶつぶつ言いながらも唯蕗はダンボールを持って食器棚の前に移動し、テキパキと食器やコップを片付けてくれる。
「感謝はしてるけどさ。俺の家を別荘にするつもりならこれくらいはしてもらわないと」
「じゃあ手伝ったから遠慮なく使っていいってことね?」
「そうは言ってない」
「けち」
「唯蕗が図々しいだけですー」
なんだかんだ言い合いながらも片付けは順調に進み、ピザが届いた頃には残っていたダンボールはほぼ空になっていた。
唯蕗に片付けてもらったばかりの皿をテーブルに出し、ピザを開ける。セレクトは唯蕗に任せてあったけど、王道の照り焼きチキンとマルゲリータにしたみたいだ。
「おいしそ〜」
「早く食べよ。あ、夕椰、ビール持ってきて」
「はいはい」
唯蕗はお酒が好きで家に来るときもよく持ってくる。俺は一人だとあまり飲まないから、唯蕗が前に持ってきた缶ビールやハイボールがまだ残っていた。
冷やしといてよかったと思いながらビールとコップ2つをテーブルに持っていき、注ぎ分けた。
「いただきまーす」
俺がピザに手を伸ばす一方で唯蕗はビールをごくごくと飲み干す。
いい飲みっぷりと思っていると、コップを置いて、目をぎゅっと閉じて一言。
「ん〜っ、おいしい」
「……CM?」
「なに。文句あるの?」
「いや文句はないけど。 急にCMみたいなリアクションするからびっくりして」
「いいじゃない。労働の後だからおいしく感じるのきっと」
そう言いながら唯蕗はビールを注ぎ足し、今度はゆっくり飲み始めた。1回やったら満足したんだろうか。
なんとなく引っかかりを感じつつも、ピザをかじった。
***
「そういえば結局、なんで泊まりに来たんだっけ」
食後、仕事の資料を作ると言ってノートパソコンを出し始めた唯蕗にアイスティーを出し、尋ねてみる。
「明日出勤が早いから」
「ほんとに?」
「なんで疑うの」
「さっきは手伝うためとか言ってなんか隠してそうだったから」
唯蕗の向かいに座り、俺もアイスティーを飲む。花みたいな香りがして砂糖を入れなくても甘く感じる。
唯蕗もコップに口をつけようとして、目を見開いた。
「これ、すごく香りがいい」
「でしょ。柊崎にもらった」
「あの子こういうセンスもいいんだ」
「めっちゃ柊崎のこと知ってそうな言い方するじゃん」
「夕椰からいろいろ聞いてるし? 実際にも会ったことだし」
いつだったか唯蕗に、同級生が同じ職場で働き始めたと話したことがあった。そこから柊崎の写真を見せろと言われて見せたり、俺の今の主治医であることも話したり、そうするうちに唯蕗は柊崎のことを気に入ったみたいだった。
「実物は写真の10倍可愛いのね、柊崎くん」
むせそうになった。気に入ってるみたいとは思ってたけど、そういう……?
「かわいい……?」
「可愛いじゃない。夕椰もそう思わない?」
「ふつーに思わない。え、何? 顔の話?」
「全部」
「え、好きになったとか言わないよね?」
「好きっていうより観察したい、かも?」
「怖……変なこと言ってないで早く紅茶飲みなよ」
意味ありげに笑って唯蕗はアイスティーを口に含む。でもほんの少しだけ飲んでコップを置いた。
「あれ、美味しくなかった?」
「ん? ううん」
そう言って唯蕗はまた少しずつ紅茶を飲み始めた。
ビールのときも思ったけど、やっぱり何かおかしい気がする。いつもなら、そんなに喉渇いてんの?みたいな勢いで飲んでたと思うけど。
あまり中身の減っていないコップを脇に置き、唯蕗が頬杖をついた。左手はパソコンのタッチパッドに置き、どこか気だるげに操作を始める。うん、やっぱりおかしい。唯蕗は豪快だけど所作は綺麗な人だ。うちで仕事をするときも背筋はぴんと伸ばして高速でタイピングをしていたはず。……もしかして。
「もっかい訊くけど。唯蕗さぁ、なんで俺に会いにきたの」
今度はあえて「なんで泊まりにきたの」とは聞かなかった。唯蕗もちゃんとそれに気づいたらしい。
「なんでそう訊くの」
「質問返しずるいよ? 分かってるっしょ」
あんまり認めたくないけど、唯蕗と俺はよく似ている。顔だけじゃない。虫歯が多いところも、歯が痛くても素直に言えないところも、そのくせ誰かに気づかせるような振る舞いをしてしまうところも似ている。だからお互い分かってしまう。
唯蕗は、たぶん歯が痛い。ビールやアイスティーをゆっくり飲んでいたのは歯に沁みるから。頬杖はアイスティーが沁みて痛かったから。そう考えると違和感のある仕草に説明がつく。
唯蕗が頬杖をやめて少し頬を膨らませた。
「夕椰っていつもそう。そっちからは言ってくれない」
「これでも言うタイミングをあげてるつもりだけど?」
唯蕗はひとつ大きなため息をついてから、拗ねた子どもみたいに言った。
「歯が痛いの」
「だと思った」
「電話で言うの歯医者の予約っぽくて嫌だから直接言いに来た」
「めんどくさ」
「夕椰に言われたくないんだけど。……いつだったら診てくれる?」
早いほうがいいと思うけど、退勤前に明日の予約を確認したら空きはなかった。唯蕗も診療時間内に来るのは難しいはず。
「明日の20時半くらいだったら。それまでに仕事終わりそう?」
「たぶん」
「じゃあ帰らないで待ってるから、来れないときは連絡して」
「分かった」
「ちなみに痛いのどこ?」
頬杖のつき方で右上かなとは思っているけど、念のために尋ねる。
「右上の一番奥」
「……やっぱり?」
めちゃくちゃやりにくそうだ。