姉弟 - 1/3

 早瀬が職場に携帯を忘れて帰ったので届けることにした。
 彼は最近引越したばかりで、前の家は何度か行ったことがあったが新居を訪ねるのは初めてだ。住所は教えてもらっていたので、最寄り駅から地図アプリを頼りに歩いていく。
 この辺りか、と道端で足を止め方向を再確認していると、一人の女性が近づいてきた。

「ねぇ、あなた」
「……俺、ですか?」

 仕事帰りなのだろう、パンツスーツにハイヒールという出で立ちでショートカットの女性。
 知らない人物だが、なぜか会ったことがあるような気もした。広告か何かで見かけたモデルに似ているのかもしれないと記憶を辿っていると、女性が答える。

「そう、あなた。道を聞きたいんだけど」
「俺に分かる場所なら」
「ありがと」

 マンションを探してるんだけど、と言って女性が口にしたのは偶然にも早瀬の新居だった。

「俺もちょうどそこに行くところです。案内します」
「よかった。お願い」

 そう言って表情を綻ばせる様子もやはり既視感がある。着くまでに思い出せるだろうかと思いつつ、地図アプリを見ながら目的地を目指した。

「ここです。どうぞ、先に」

 オートロックのマンションなので連れ立って入るわけにもいかない。エントランスで順番を譲ろうとすると、女性は「あら」と笑う。

「一緒に行きましょ」
「いや、一緒にと言われても」
「同じ部屋に用がある気がするの」
「は……?」

 同じ部屋ということは、この女性も早瀬に会いにきたということか? 早瀬とどういう関係だ? そもそも彼女は俺のことを知っているのか?
 心中が混乱を極めている俺を揶揄うように女性は笑い、マンションへ入っていく。少し後ろを遅れて付いていき、女性がインターホンを押すのを見ていた。押した部屋番号は見えない。
 しばらくして「はーい」と聞き覚えのある間延びした応答が聞こえてきた。

夕椰ゆうや、今日泊めてくれない?」
「まだ片付け終わってないけど」
「全然OK」
「そ? じゃあイブキも片付け手伝ってね」

 親密そうに話す二人。“イブキ”というのはこの女性の名前だろうか。相手は間違いなく早瀬だ。聞いてはいけないものを聞いているような気持ちで傍らに立っているしかなかった。どういう関係か、自然に考えるなら恋人だろう。
 恋人、できたのか……。
 少し前に話したときはいないと言っていた。あいつのモテようを考えればあのときは丁度いなかっただけですぐに恋人ができても何もおかしくない。頭のどこかでは理解していたはずなのに、現実を目の当たりにして静かな衝撃を受けてしまった。

「それとお友達も来てるよ」

 携帯を預けて帰ろうかと考えていると、女性が俺を手招きした。
 拒めずに隣に立つとカメラに映ったのか、「あ、柊崎ありがとー」と言う声が聞こえてオートロックが解除され、自動ドアが開く。

「あ、あの」

 部屋まで行っても邪魔なだけだ。早く携帯を預けてここで帰らねばと思うが、俺が鞄から携帯を出そうとしている間に女性はハイヒールを鳴らして中へ入っていく。
 やっと鞄から携帯を取り出すと自動ドアが閉まりかけたので慌てて女性を追いかける。背後でドアが閉まり、鍵のかかる小さな音が聞こえた。

「あの、これ早瀬に持っていってください」

 エレベーターに乗ろうとする女性に早瀬の携帯を差し出す。

「俺はこれを届けに来ただけなので。帰ります」

 半ば押し付けるように携帯を渡し、踵を返す。ところが後ろから腕を掴まれた。

「一緒に行けばいいじゃない」
「でも」
「夕椰も喜ぶと思うけど?」
「あなたが行ったほうが喜びます」

 冷静にと意識していたのに拗ねたような口調になってしまった。女性が首を傾げる。

「たぶんあなた、勘違いしてる」
「勘違い……?」
「まあいいから」

 来なさいとでも言うように女性は俺の手を引く。エレベーターに乗ってしまい、女性が閉ボタンを押した。

「どういうことですか」
「だから勘違いよきっと」
「何が勘違いなんですか。あなたは早瀬の……」

 恋人なんでしょう、と尋ねることがなんだか躊躇われた。口ごもった俺を見て、女性はくすりと笑った。

「夕椰の、何だと思ってるの?」

 その顔が、早瀬が俺を揶揄うときの顔と重なった。そして最初に会ったときから抱いていた既視感の正体にも気づいた。この人は早瀬に似ている。
 恋人同士というものは一緒に過ごしているうちに顔が似てくるとどこかで読んだことを思い出した。
 エレベーターが止まったので外に出る。
 部屋番号を見ながら歩いていくと早瀬の部屋は角部屋のようだ。インターホンを押すとすぐにドアが開いた。

「柊崎ごめんねー……って、どうしたのそんな顔して」
「な、何も……」
「どう見ても何かあった顔だけど。イブキ、柊崎に変なこと言ってないよね?」
「変なことって?」
「うわ、超怪しい! とりあえず二人とも上がって」
「いや、邪魔するといけないから俺はこれで」

 後ろに下がろうとすると、俺の隣にいる女性と早瀬が顔を見合わせた。

「柊崎」

 片手でドアを開けたまま、もう片方の手で早瀬が俺の腕を掴む。

「たぶん勘違いしてるよ」
「またそれか。お前たち揃いも揃って」
「この人、俺の姉ちゃん」

 早瀬が食い気味に言った。

「…………お姉、さん?」

 二人の顔を見比べる。何やら楽しげに微笑む女性と、少し困った様子の早瀬。表情は違えど目鼻口の形や配置が本当によく似ている。
 一緒に過ごしたところでこうは似るはずがない。