美容師さん - 5/9

 家に帰り、夕椰さんの名刺を見ながら思い切って予約してから約2週間。とうとう歯医者に来てしまった。
 夕椰さんがあんな感じだから他のスタッフさんたちも同じような人が多いのかと思っていたけど、そんなことはなかった。受付は暗髪ポニーテールの真面目そうな女の子だったし、すれ違った先生も顔とスタイルはすごく良かったけどいかにもエリートそうで近づきにくい雰囲気だった。
 患者さんも会社員風の落ち着いた人たちが多い。昨日、歯医者さん前で不安な気分を変えたくて髪をピンクに染めた自分は結構浮いている気もした。
 夕椰さんはいつも通りなのか、不安になる。いつもは話しやすいけど、ここでは黙って診せてって感じの歯医者さんだったら……。

「お待たせしました」

 嫌な想像をしたところでちょうど呼ばれて、不安な気持ちのまま歯科衛生士さんについていく。診察室をいくつか通り過ぎて、一番奥のブースの前で衛生士さんが立ち止まった。

「中へどうぞ」

 案内されるまま診察室に足を踏み入れると、ワインレッドのスクラブを着た歯医者さんがこちらに背を向けて座っていた。手にはバインダーに挟まれた問診票。髪色と華奢な後ろ姿は間違いなく夕椰さんなのに、知らない人を見ているような感覚になる。

「こ、こんにちは……」
「こんにちは〜」

 くるりと椅子が回って夕椰さんが振り向く。

「髪ピンクにしたんだ? 超似合うね」
「……ありがと。夕椰さんは前髪分けてないんだね」
「こないだ依さんにコツを教えてもらったからさ、見せたくて。どう?」
「上手い」
「やった〜。あ、どーぞ座ってね」

 友達の家でソファを勧められるようなノリで診察台を指されて、自然と座ってしまった。

「沁みるのは右上?」

 バインダーを片手に、もう片方の手ではペンを回しながら夕椰さんが尋ねる。当たり前だけど指輪はしていない。

「う、うん」

 肩に力が入った変な姿勢でぎこちなく頷くと、バインダーで軽く肩を叩かれた。

「ちょっと硬すぎ。普段から肩こってんのにもっとひどくなるよ?」
「肩こってるとか夕椰さんに言われたくないんだけど」
「俺だから言うの。俺もさ、歯医者さんに行った次の日になんか肩から頭が痛いなってことがあったわけよ。で考えてみたら、歯医者さんでめちゃくちゃ体に力入ってんだって気づいて」
「どんだけ力入ってんの」
「依さんも力抜かないとそうなるよ」
「そこまでじゃないから……」

 だってもう肩は上がってないし。
 目の前の歯医者さんをじっと眺めてしまう。歯医者さんなのに歯医者が苦手なんて、なんだか不思議だ。
 でもいつだったか、ピアスは痛そうで開けられなかったと話していた夕椰さんとは繋がるような気がした。

「最近髪で困ったことないですか?と同じようなものだと思って気楽に答えてよね」
「分かったから。次はなに聞きたいの」
「んーとね、冷たいものが沁みる? 温かいものとか、なにか食べたときに沁みるとかは?」
「冷たいものだけ」
「毎回沁みる? たまに?」
「ほぼ毎回……かな」

 メモをしていた夕椰さんがこちらを見る。何か言われるのかとちょっと身構えると、夕椰さんが眉を下げた。

「それは辛いねぇ」

 それだけ? 拍子抜けしつつも、このまえ歯の話を聞いてくれた夕椰さんと一緒なんだなと安心感は強くなった。

「原因は何にしても、症状を早めにとっていきたいところだね。……他には? 気になることとか」
「痛いとこはないよ」
「質問でもいいよ? ほら、俺がよく聞くじゃん。ここの髪がはねやすいけどどうやってセットしたらいいですか? みたいな」
「そういう系? んー……それなら歯磨きのコツとか? 本気でやってみようかな」
「おっ、嬉しいなー。じゃあそこは専門家にお願いしよっか。ね」

 よろしくね、と言うみたいに夕椰さんが横にいる衛生士さんに視線を送ると、「ばっちりコツお伝えしますね!」と衛生士さんも笑顔で言ってくれた。