カラーとカット、仕上げのヘアセットを終え、手に持った鏡で夕椰さんの後ろ姿を映す。
「どう? めちゃくちゃよくない?」
夕椰さんはおかしそうに肩を揺らした。
「自画自賛してるこいつって思ってるでしょ」
「まぁ思ったけどさ、依さんの自信あるとこ俺は好きよ? ほんといい感じ」
ありがとね、と夕椰さんがこちらを振り向く。センターパートにしていることが多い前髪を今日は分けないスタイルにしてみたせいか、いつもより少し幼く見える。
「ありがとうございましたー」
店の外に出て、自然光で見た髪色も思い通りの仕上がりだ。
「うん。やっぱ完璧」
「ふふ。いつもありがとね」
夕椰さんはこの後、友達と食事に行くと言っていた。向かうとすれば繁華街の方向だろうか。見送るつもりでいたけど、なぜか夕椰さんはそこから動かなかった。
「……ねえ、俺も手前味噌していい?」
「え?」
夕椰さんの手にはいつの間にか、名刺入れのような革のケースがあった。そこから1枚取って差し出される。受け取り、真っ先に目に飛び込んできたのは夕椰さんの名前と、
「歯医者さん……?」
大きく印字された、歯科医院の名前。歯の形をモチーフにしたロゴも付いている。
「うん。それ、おすすめの歯医者さん」
言われている意味がよく分からない。名刺と夕椰さんを見比べる。
この人が、歯医者さん?
今日の話でもとてもそうとは思えなかった。でも名刺にははっきりと歯科医師と書いてある。
「驚かせたかな。ごめんね」
「驚くに決まってんじゃん……。俺が歯医者さんだったらどうするとか言ってたの、冗談じゃなかったってこと?」
「冗談にしとこうかと思ったんだけど。やっぱり、心配で」
歯のことを聞いてくれたときと同じ、優しい表情と声音。歯医者さんのときもこんな感じなら悪くないかもしれない、という考えが頭をよぎったけど、すぐにブレーキがかかった。お客様に歯を診てもらうということをまだ受け入れられていない。
「よかったら連絡してね」
「……考えとく」
「うん。ま、知ってる相手に診てもらうの気まずいかもしれないし、他の歯医者さんでもいいけどさ。早く行ったほうが絶対いいよ」
歯医者さんはみんなそう言う。早く来ればよかったのにとか、どうしてこうなるまで来なかったんですかとか。夕椰さんも一緒なんだなとがっかりしていると、真顔でじっと目を覗き込まれた。
「これは歯医者さんじゃなくて、痛い思いしたことのある俺が依さんにおすすめしたいことね」
「痛い思いしたことあるの?」
歯医者さんらしいとも思わないけど、逆に歯で苦労しているようにも見えなかったので思わず尋ねてしまう。うん、とたいしたことではないように答えて夕椰さんは微笑んだ。
「時間取ってごめんね。じゃあ、また」
曲がり角に後ろ姿が消えてから、名刺に目を落とす。
歯科医院は駅のすぐ横のビルに入っているらしい。仕事帰りでも行けそうだけど、まだ決心はつかない。
ひとまず今日の仕事が終わってから考えよう。名刺をポケットにしまい、店の中に戻った。