美容師さん - 2/9

 まずはカラーを塗っていく。
 施術の間は会話をしたり雑誌を読んだり、お客様によって過ごし方はそれぞれだけど、夕椰さんとは会話をして過ごすことが多い。最近見つけたセンスのいいセレクトショップや美味しいレストランなど、おすすめの店を紹介し合うこともある。今日も、ある“おすすめ”を聞いてみたいと思っていた。

「夕椰さん、仕事は医療関係だったよね」

 お客様の職業によって提案できるスタイルは変わってくるから初来店時にそれとなく聞いてみるし、一度でも言われたら記憶するように気をつけている。
 でも夕椰さんは意識して覚えるまでもなく印象に残っていた。お堅いイメージのある医療関係の仕事と夕椰さんがうまく結びつかなかったからだ。どちらかといえば同業者と言われたほうが納得する。

「そうだよ。医療関係なのにそんな派手な格好でいいのかって?」
「いや派手ではなくない? まぁ真面目なお医者さんって感じはしないけど」
「言うね〜」
「スタイルの話じゃなくて、聞きたいことあんの。いい歯医者さん知らない?」

 急に会話が途切れた。夕椰さんが何も反応しないのは珍しい。ハケを握った手は動かしつつ、鏡に映った表情をさりげなく確認するといつもより硬いような気がした。
 何秒か経ってから、ようやく聞き返される。

「歯医者さん?」
「うん。医療関係だったら、どこの病院がいいとか詳しそうじゃない?」

 そういうことね、と夕椰さんが呟く。

「歯が気になってるの?」

 心配そうでありながら優しい口調に促されるようにして、自然と頷いてしまった。

「ちょっと沁みる気がして」
「そっか。それは心配だよね」
「ん」

 沁みる感覚自体は耐えられないほどじゃない。ただ、毎日毎日、冷たいものを飲んだり食べたりして歯が沁みるたびに虫歯かなと不安になる。
 長い間歯医者にはかかっていない。それでも虫歯の痛みも治療の痛みも経験はあるから、虫歯だとしてこのまま放っておくのも、今すぐ歯医者に行くのも怖かった。

「歯医者さん行かないととは思ってるんだけどね。おすすめ、ない?」
「おすすめねぇ……。ていうか依さん、さっき医療関係者なら病院に詳しそうって言ってたけど、自分の病院を勧める人もいるんじゃない?」
「それもそうか」
「どうするの、俺が歯医者さんだったら。おすすめされちゃうかもよ?」

 夕椰さんがにやりと笑う。表情と口調からその気がないのは分かったし、そもそも歯医者さんには見えない。だから軽い気持ちで答えた。

「おすすめされたら行っちゃいそうかも」
「ほんとに?」
「夕椰さんが本当に歯医者さんだったらね」
「嬉しいな〜」

 相変わらずの冗談ぽい口調。かと思えば、夕椰さんはすっと真面目な顔つきに変わった。

「依さんの言う『いい歯医者さん』ってどういう歯医者さんなの?」
「えー、どうだろ……上手で優しい、とか?」
「それは大事だよね」
「あとは話しやすい感じがいいかな。今まで行った所が結構淡々としてるっていうか、何されてるかよく分からないし、怒られたこともあるし。苦手なんだよねー、歯医者さん」

 相槌を打ちながら、笑うこともなく真剣に聴いてもらえるからつい愚痴のようなことまで話してしまった。接客中なのに何してるんだ。カラーを塗り終えたところで我に返った。

「ごめんね、こんな話して。沁みてない?」
「大丈夫。俺も突っ込んだこと聞いちゃってごめんね」
「全然。聞いてくれてありがと。しばらく置くから紅茶持ってくるね。今日はオレンジティーだよ」
「へぇ、美味しそう」

 カラーやパーマをするお客様には待ち時間に飲んでもらえるよう、季節替わりでフレーバーティーを提供している。

「いつも通りストレートにする? シロップも入れられるよ」
「ううん、何も入れないほうがいいな」
「了解」

 タイマーをセットして席を離れた。