あれから1週間。早瀬はまだ検診してくれと言ってこない。今日も帰りがけに顔を合わせたが「お疲れ様」とそれだけ言って彼は帰って行った。
早瀬とは他の同僚たちよりだいぶ親しい、とは思う。だがお互いいい大人だ、親しいからといって子どものように終始近くにいるわけではないし、これくらいの会話しかないのも別にいつも通りといえばそうなのだが、どこか彼がそっけない気がするのも事実だった。
駅に繋がる地下道を歩きながら、俺が何かしたのだろうかと思い返してみる。だが心当たりが全くない。
全て俺の考えすぎのような気もするが、いかんせん早瀬という人間は分かりやすいようで分かりにくいので俺も自信を持てずにいる。感情を剥き出しにしている彼を見たのは、後にも先にも俺の抜髄をしてくれた、あのときだけだ。
笑っている印象が強すぎるせいだろうか。よそ行きの穏やかな微笑、俺を揶揄うときの子どものような笑顔、最近よく見せてくれる作り物っぽくない柔らかな表情……笑った顔ならいくらでも思い出せるが、その裏にいろいろなものを隠しているような気がしてならない。怒りもそうだし、例えば不安なんかも。たまにふっと影が射したような表情に見えるときは余計にそう思う。その数秒後にはまた笑っているから、結局彼の本質には近づけずじまいだが。
もう少し俺のほうから踏み込んでみてもいいのだろうか。
「あれ、柊崎?」
正面から歩いてきた人物に声をかけられたのはちょうどそんな時だった。考えに没頭していて気づくのが遅れた俺は慌てて目の前の人物に焦点を合わせる。
「……藤川」
「おう、久しぶり! 同窓会以来か」
気持ちの良い笑顔を向けてきたのは高校時代の同級生、藤川だ。早瀬と同じように高校2年時だけ同じクラスで、彼は早瀬と特に仲が良かった。
藤川とも当時の俺は接点がなかったが、同窓会では早瀬を挟んでそれなりに会話を交わした相手だ。
「そうだな。久しぶり」
「お互いこの辺で働いてるのに全然会わないよな」
「まったくだな」
俺たちは壁際に寄り、自然と話が続いていく。
「早瀬も元気か? 先週飲みに行ったら元気がなかったから心配で」
「早瀬が?」
「ああ、変わりないならいいけど」
そういえば検診の話を持ちかけた日、早瀬は急いで帰ろうとしている様子だった。きっと藤川との約束の日だったのだろう。あの日から元気がなかったのか。あの日は俺はなんとも思わなかったが……。
「早瀬、けっこう強がりなところあるからな。無理してそうだったら気にかけてやって」
“強がり”——言われてみれば分からないでもない。でも、俺の思う早瀬を表す形容詞にそれは入っていなかった。これは早瀬のことをよく知っている奴の台詞だ。きっと、俺よりもずっと。そう思った途端、胸の中にうっすらと黒いもやがかかったような、そんな感覚にとらわれる。
「どうした? 柊崎までなんか元気なくね」
ぱしりと軽く肩を叩かれ、俺は我に帰った。
「あ、悪い。大丈夫だ」
「そうか? まあ早瀬のことよろしく。そうだ、今度は柊崎も一緒に飲みに行こうぜ」
いつがいいかな、と呟きながら藤川が携帯でスケジュールを確認し始める。この行動力と対人スキル、早瀬と馬が合うのもよく分かる。俺とは真逆だ。
俺には話せなくても付き合いが長くて気心の知れた藤川になら話せることもあるだろう。元気がない理由、藤川には話したりしたのだろうか。俺も、知りたい。しかし、なぜか素直に尋ねることができなかった。
「柊崎、予定なんだけど……」
藤川が提案してきた日程に、いつでもいいと空返事をする。特に希望もないし、なんだかそれどころではない。自分でも何にここまで引っかかっているのか、それは分からなかった。
「よし、じゃあ早瀬にも予定訊いてまた連絡するから」
じゃな、と来たときと同じ快活な笑顔で藤川は去って行った。