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「それにしても早瀬、美味そうに飯を食べるようになったよな」
とある居酒屋。俺の向かいに座った藤川が感慨深げにこちらを見てくる。今日のもうひとりのメンバー、柊崎は急患が入ってしまい少し遅れて来ることになっていた。
柊崎に治療をしてもらってから1ヶ月。予後は順調で、左上6番には前より少しサイズは大きくなってしまったものの新しいアンレーが入った。あのあと検診もしてもらって、他に虫歯ができていないことも確認済みだ。
「昔はあっちが痛い、こっちが痛いってずっと言ってただろ。俺は心配してた」
「ごめんって」
「そのくせ歯医者は怖いって行ったり行かなかったり、行く所もコロコロ変えて……だからよかった。ちゃんと診せられる歯医者に会えて」
「そうだね」
「あの柊崎とは意外だったけどな」
俺も意外だったけど。柊崎と初めて話したあのとき、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
「なに? あいつすごい優しいとか?」
「別に優しくはない。もう見たまんま」
最近は随分優しくなったと思うけど、治療中は相変わらずにこりともしないし声かけだって多くはない。
「そうなのか? じゃあすごい上手いとか?」
「上手いけど。俺だって負けてない」
「あれ〜? 悔しそうな顔ですねぇ」
「……藤川きらい」
技術は認めてる。この前の治療が上手くいったのも、柊崎が丁寧に少しずつ削ってくれたからだ。良い治療をしたいという思いが強いし、そのためにすごく手間がかかってもそれを苦労と思ってなさそうなところもすごい。
「けど技術も決め手じゃないと」
「うーん、そうだね。もちろん下手だったら頼まないけど」
「へえ。じゃああいつの何が一番いいの」
実は俺もよく分からずにいた。柊崎になら診てもらってもいいかなと思った一番の理由。同じような経験をしてるから気楽というのももちろんある。でも、この前の治療で強く感じたのはなんだか別の気持ちだった。
「安心感かな」
「安心感?」
抜髄になるかもしれなかった今回、俺が気づいてしまったのは、自分が思ってた以上に歯の治療への苦手意識を克服していないということだ。
いつもならなんともないことにも強い恐怖を感じてしまって、自分がいつもの自分じゃないみたいで動揺していた。たぶん柊崎にもそれは伝わってしまったと思う。でも、柊崎はいつもと全然変わらなかった。
「素なのかあえてそうしてんのか知らないけど、どこまでも柊崎でなんか落ち着く、とか、思って」
分かるような分からないような、という藤川の顔。
「歯医者が苦手な早瀬だからこその感覚なのかもな。……お、噂をすれば」
藤川が俺のほうというか俺の後ろを指差す。振り返ると、いつもの仏頂面で店に入ってくる柊崎が見えた。
「ねえ藤川、さっき話したこと黙っててよ」
「え? いいけど。でも機会見てちゃんと柊崎に言えよ、礼とかさっきの高評価とか。どうせ言ったことないんだろ」
「あるから」
柊崎は俺のことがよく分からないらしいし、伝わってないかもしれないけど。いつか、もっと素直に言ってみてもいいかな。
こちらに歩いてくる柊崎に向かって俺は手を振った。