「……すまん、急用を思い出した」
「だーめ。そんな言い訳通じるわけないでしょ」
俺の腕を掴んでいる早瀬の力は予想以上に強い。どちらかといえば華奢な見た目や緩い言動のせいで忘れていたが、彼は高校時代れっきとした体育会系だった。
そのまま中に引いていかれそうになり、俺は必死にその場に踏みとどまろうとする。
頭も心も整理が追いつかない。
……俺の職場?
「ちょっと待ってくれ、早瀬。俺には何がなんだか」
「え、単純な話だけど。柊崎がなかなか虫歯の治療しないから、俺がするねって話」
「俺がするね、って」
そこが一番理解できない。
「だってお前、会社員で……今は忘れ物を取りに来ただけのはずじゃ……」
「あ、ごめんね? ちょっと混乱してる?」
早瀬の腕の力が緩む。
少し申し訳なさそうな瞳に捕まって、逃げればいいのになぜか逃げられなかった。
とりあえず中で話そ、と言って早瀬は入口の鍵を開ける。
彼に手を引いていかれるがまま、俺は歯科医院の中に足を踏み入れていた。