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「忘れ物した」

 早瀬がそんなことを言い出したのは、次の店へ歩き出してしばらくしてからのことだった。

「さっきの店か?」

 振り向けば、鞄をごそごそと漁る早瀬。

「ううん、会社。家の鍵忘れたみたい……」
「はあ。じゃあ俺は先に行ってるから、取りに行って来い」
「え、冷たいな〜。柊崎も一緒に来てよ、近くだし」

 仕方がない。
 俺は早瀬と一緒に、駅の方へと歩き出した。
 
 駅まではそう遠くなく、5分もすれば目的地のオフィスビルに着いた。
 建物に入ると、早瀬は慣れた様子でエレベーターホールへと向かう。入口のあたりで待っていようとした俺に、早瀬はまたついて来るように言って、ここに来るのが初めてだった俺は言われた通り彼の後ろをついて歩いた。
 
 エレベーターホールで案内板を見ると、ビルの下層階には店舗や病院なども入っているらしい。
 4階にとある文字を見つけて俺は顔を顰めた。

「歯医者も入ってるんだな、ここ」
「うん」
「同じ建物に歯医者があるの嫌じゃないか」
「そう? 便利だからって利用する人も多いよ」
「そんなものか……」

 職場と同じビルに入っている歯科医院なんて、知人に出くわす確率も高いだろうに。俺なら絶対に利用しないが、歯にコンプレックスがない人間には大したことではないのかもしれない。
 そんな話をしているうちに、エレベーターの到着を知らせる音が響く。早瀬に続いてエレベーターに乗り込みながら、俺は彼の背中に向かって尋ねた。

「早瀬の会社は何階なんだ」
「ん?」
 
 エレベーターの扉が閉まる。
 早瀬の答えを待つ前に彼の手元を見れば、押された階数ボタンは4だった。

「え」

 いや待て。4階って。
 さっきの案内板を思い出す。たしか歯科医院が入っている階だったが。
 まさか。別に4階にはそれしかないわけじゃあるまいし。

「お前、よりによって歯医者と同じ階なのか」

 早瀬は答えない。
 いや、まさか本当に、そうだとか言わないよな?
 俺の頭にある最悪の答えが現実味を帯びてきて、だんだん鼓動が早くなっていくのを感じる。
 4階に着くまではあっという間だった。
 今さら引き返せず、何も言わない早瀬の後ろをついていく。そして彼は立ち止まり、振り返った。

「ここ。俺の職場」

 彼が指した場所は、紛れもなく歯科医院の入口。
 血の気が引いていくのを感じた。
 思わず後ずさりしようとしたが、早瀬に腕を掴まれる。

「治療しよ、柊崎」