「柊崎も歯医者怖い人の気持ちは分かるんだろうからさぁ」
ばつの悪さをごまかすように俺はウーロン茶を口に含んだ。
「う、」
左下の歯に冷えたウーロン茶が沁みる。左下6番が虫歯になっていることには気づいていた。俺が珍しく酒を飲んでいないのも、鎮痛剤を服用しているのが理由だ。
思わず呻いてしまった俺に早瀬がちらりと視線を向ける。
「まだ治療してないの、そこ」
「え? まあ……」
最初は隠そうとしたが、俺がこの左下の虫歯を長らく放置していることはすぐに早瀬の知るところとなっていた。
どこで気づいたのかは分からない。だが、最初に飲みに行った日にはもう、彼は俺の虫歯に気づいていた。場所まで正確に。
「せっかく歯医者で働いてるんだし、ぱぱっとやってもらえばいいじゃん」
「絶対にお断りだ」
「やっぱり同僚に見せるのは恥ずかしい?」
「……そうだ」
「だよね、気持ちは分かるよ」
一応院内でも検診はするので、もう口の中の状態は知られている。だから今さらといえば今さらだが、やはり知人に診られるのは良い気持ちはしない。さらには治療中の顔を見せるなんてとても考えられなかった。
他の医院に行くにも、予定が合わなかったり技術面で不安があったり――正直に言えばただの言い訳だが――なかなか行きたいと思える歯科医院はなかった。
「でもなんとかしないと。そろそろ歯医者行ったほうがいいと思うけどな」
真顔で言われたが、そんなことは俺でも分かっている。それにこいつだって偉そうに言える立場じゃないはずだが、と思いながら早瀬を睨んだ。
「お前に言われたくない」
「俺は今回は早めに歯医者行ったよ?」
「早めといってもだいぶ進んでたが」
「それでも昔よりは早くなったと思うよ。俺痛いの嫌いだから学んだの。……きっとそれ治療すんの痛いよー」
早瀬がわざとらしく顔を顰めながら指差してくる。思わず左頬に手をやると彼は可笑しそうに笑った。
「笑うな」
「だってすごい顔してるよ。柊崎にも表情筋あったんだなって感じ」
「どういう意味だそれは……」
頬杖をつきながら早瀬を見ると、彼はにやにやとした表情のまま俺と同じウーロン茶を飲んだ。
そういえば今日は1杯も酒を頼んでないんだなと今さらながら気づく。
「早瀬、今日は酒飲まないんだな」
「え? あ、まあね。気分? てか、二人して居酒屋来てウーロン茶とか、何やってんだって感じだよね」
「そうだな。店変えるか」
「そうしよ」
残っていた料理を片付け、勘定を済ませて俺たちは連れ立って店を出た。
後で思えば、これが大きな間違いだった。1杯は必ず飲む早瀬が最初からウーロン茶を飲んでいた不審さに気づけなかったことも、珍しく俺のほうから店をはしごしようなどと言い出したことも。