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 家に帰り着き、部屋に入るとすぐ「そこ座って」と指示される。

「なによ、人の家で偉そうに……」

 文句を言いながらもカーペットの上に腰を下ろすと、薫も私の目の前に座る。ん、と片手で顎を持ち上げられた。口を開けろということらしい。
 冷静な、ともすれば冷淡にすら感じる薫の視線を受けて思わず目を逸らす。
 小さく口を開けるとすぐ、もっと、とそっけなく言われた。

「あー……思いっきりやってるな」
 
 口を閉じて顔を背けそうになる。

「逃げんな」

 薫が体を寄せてきて、両手で顔を固定した。二重の意味で心臓がばくばくと音を立て始める。

「大きく開けて」
「も、もう見たじゃん……」
「もう一回。お前がすぐ口閉じたからちゃんと見えてない」

 渋々口を開ける。じっくりと左下を観察された後にようやく薫の手が離れていった。

「本っ当に懲りないよな、お前」

 解放されたかと少しほっとしていたところに不機嫌そうな声が降ってくる。

「放置して痛い目にあったばっかりだろ? よくこんなの隠しとこうと思ったよな」
「どうせあさってには診てもらうからいいかなって……」
「あさって? 炎症起こすかもとは考えなかったのか?」
「……考えた、けど。お酒飲んでるし今は何もできないじゃん」
「今はだめでも、明日とか他に選択肢はあるだろ」
「明日は休みだし……それに、約束があって」

 薫が盛大にため息をついた。

「例の彼氏?」
「え、彼氏?……例の?」
「この前治療した日に言ってただろ。デートだって」

 そういえば言った気がする。薫を振り切って帰りたい一心でついた嘘だ。

「あれ信じてたの?」
「半分くらいは。そう訊くってことは嘘かよ」
「……嘘だよ」

 彼氏なんかもう何年もいない。
 告白されて付き合った人はいるけど、どうしても薫のことが忘れられなくて長くは続かなかった。

「彼氏はいない。明日も友達と会うの。ほら、友美って覚えてない? 高1のとき……薫は高2のときもか。同じクラスだった」
「ああ、仲良かったもんなお前ら」
「ずっと連絡取ってて。でも会うのは久しぶりなの。だから明日は絶対行きたい」
「飯も食べるの?」
「その予定だけど……」

 考えこんでいる様子の薫を見つめる。
 そんな歯で無理だろって言われるのかな。私も本当は不安だ。でも、友達との約束を直前にキャンセルはしたくなかった。

「何時の約束?」
「10時」
「……じゃあ、8時だな」

 意味が分からず、首をかしげる。

「職場に来いよ。消毒して仮封入れ直す」
「朝やるの?」

 薫も休みなのにいつもの診療よりも早い時間から診てくれるなんて、思いがけない提案だった。

「朝は寝てたいからやだとか言うなよ?」
「言わない言わない」
「時間厳守だからな。じゃあまた明日」

 そう言い残すと薫は立ち上がり、私の返事も待たずに玄関へ向かう。
 この前もそうだった。薫は私の家に長居しようとしない。

「待って」
「なんだよ」

 追いかけたけど振り向くことすらしてくれない。

「ありがと」

 後ろを向いたまま軽く手を上げて、薫は帰っていった。