- 14/16

 診察室を出ると、私たちの他にはもう誰もいなくなっていた。
 待合室の大きな窓の外は暗く、ヘッドライトを付けた車が走り去って行く。
 芳野先生はまだ片付けがあると言って裏のほうに行ってしまって、お会計は風見先生がしてくれた。
 二人だけになると、急に緊張する。
 芳野先生も一緒にいたのと、風見先生の親しみやすい雰囲気とで忘れていたけど、そういえば風見先生と話をしたのは今日が初めてだった。

「和瑚ちゃん、次の予約はまた1週間後でいい?」

 受付に置かれたパソコンを操作しながら風見先生が尋ねる。

「はい」
「泣かないで来てね」
「な、泣きませんよ……たぶん」

 右下の歯の治療はまだ続くみたいだったけど、次からはほとんど痛みはないと芳野先生に言われていた。
 風見先生が優しい笑顔で私を見て尋ねる。

「歯医者さん嫌いになってない?」
「う……ずっと苦手ですけど、でも芳野先生は今までの歯医者さんより苦手じゃないかもしれないです」

 虫歯を作った君が悪いんだから、我慢しなさい。
 小さい頃から何度も言われたそんな言葉を、芳野先生は言わない。

「先生優しいもんね。僕は、うちで一番優しいのは芳野先生だと思ってるの」
「芳野先生は、風見先生が一番優しいって……」
「そう言ってくれるんだけどね。僕は治療を受けた経験がないから、患者さんの気持ちが本当にわかるのは彼のほうだと思うよ、きっと」
「……羨ましいです……」

 一つ間違えば嫌味に聞こえそうな内容だったけど、風見先生の表情や口調から純粋にそう思っていることが伝わってきた。

「でも、結構本気で悩んだ時期もあって。健康な歯だけど一回治療を経験してみようかなとか思ったり」
「怖い怖い、だめです、そんなことしちゃ」
「うん、やらなかったけどね」

 私はほっと胸を撫で下ろした。

「でも、風見先生もすごく優しくしてくれて……ありがとうございました」
「そうかな? ありがとう」
「風見先生だって、すごくわかってくれる先生だなって思いました」
「身近にね、歯医者さん苦手な子がいるの。だからかな」

 一瞬、風見先生が今までよりもっと優しい目になる。
 誰なんだろう、こんな顔をさせる人。
 なんだかどきどきしながら風見先生を見ていると、先生はすぐにパソコンに視線を戻した。

「はい、予約取れました、と。来週金曜日の17時半ね」

 風見先生が保険証と診察券を返してくれる。
 それをお財布にしまっていると、奥のほうから芳野先生が歩いてきた。

「あ、まだいた。よかった」

 芳野先生は私の近くまで来ると、はい、と何かを差し出した。

「おいしい天然水……?」

 ミネラルウォーターのペットボトルを受け取って、なんでこれを?と首を傾げていると、芳野先生が心配そうに言う。

「いっぱい泣いたんだから、ちゃんと水分補給して帰ったほうがいいぞ」

 やっぱり優しいな、と思うのと同時に、改めて泣いたとか言われると恥ずかしい。
 風見先生が横からさっそく茶々を入れた。

「デリカシーないよ芳野先生」
「なんでだよ」
「和瑚ちゃんもそう思うよね」
「俺なんかした?」

 でも、風見先生もさっき「泣かないで来てね」なんて言ってたから、いい勝負だよ。
 そう思いながらも、ただの友達みたいに言い合っている二人をしばらく笑いながら眺めていた。