(和瑚Side)
早く泣き止まなきゃ。
それしか考えていなかった。
泣くつもりじゃなかったのに、勝手に溢れてくる涙を抑えられない自分が嫌になる。
「我慢しないで泣きたかったら泣いちゃおうか。そのほうがすっきりするよ、きっと」
「そうそう。なんも遠慮はいらないよ」
先生たちがかけてくれる優しい言葉も首を振って拒絶してしまった。
こんなに優しくしてもらってるのに、泣いてばっかりで、まともに治療も受けられなくて、なにしてるんだろう。自分から頑張るって言っておいて、迷惑ばかりかけて。
そう思えば思うほど苦しくなって、涙が次々に溢れてくる。情けなくてまた「ごめんなさい」と繰り返すと、風見先生が私の顔を覗き込んで言った。
「和瑚ちゃん、何がごめんなさいなの?」
静かなその言葉は、今までの優しさだけの言葉とはほんの少し違う響きがした。
怒られているわけではない。でも、何か私を諭そうとしているような、そんな気がしてどきっとする。
「ちょ、風見……」
芳野先生もそれに気づいたのか、少し焦ったように風見先生に何かを言いかける。
でも、風見先生は優しい口調で私に問いかけた。
「和瑚ちゃんは何か僕たちに謝るようなことしたの? してないよ」
謝ることなんて、いっぱいあるのに。
「だって、ひどい虫歯、つくっちゃって、なのに全然、ちゃんと治療受けられなくて……っ」
「虫歯ができちゃったのは、僕たちに謝ることじゃないでしょ? これから和瑚ちゃんが気をつければ、それでいいの。自分の歯なんだから、自分が大事にしてあげようね」
「ん……」
「ちゃんと治療受けられなくて、っていうのは、芳野先生どうなの?」
風見先生に話を振られた芳野先生を、私は涙目のまま不安な気持ちで見上げる。
芳野先生は真剣な表情で私をまっすぐに見た。
「全然、ちゃんと治療受けられてるよ」
「うそ」
「嘘ついてどうすんだよ。頑張ってるだろ、それは俺が一番わかってる」
「泣いてばっかなのに……」
言っているそばから涙が頬を伝う。
「けど、この前だってちゃんと最後まで治療受けて、今日もこうやって頑張ろうとしてるじゃねえか」
「でもそれが、うまくできないの」
「だってこの治療、辛いもんな。……俺やったことあるんだよ」
「え……」
思ってもみなかった事実に私はびっくりして芳野先生を見つめた。
「昔な? まあ、泣いた。和瑚ちゃんの比じゃないくらい」
私より小さい頃だったのかな。そんなの、私だったら絶対耐えられない……。
子どもの頃の芳野先生が可哀想になってきて、いつの間にか顔を歪めていたらしく、「そんな顔するなよ」と先生が苦笑する。
「……歯医者さんでも、虫歯になるんですね」
「俺はな。正直恥ずかしいけど。ま、昔は歯医者さんじゃなくて、ただのアイス好きな子どもだったし」
「アイス好きなんですか」
なんだか意外すぎて聞き返すと、先生は照れたように笑った。
「芳野先生、某あたり付きアイスが好きなの」
風見先生が横からこそっと囁いた。
「え……なんか、かわいい……」
「やめろよ」
「けっこう当てるんだよ」
「おい風見」
ふふ、と思わず笑みが漏れる。
いつの間にか涙は止まっていた。
「ちなみに風見先生も甘党だけど、虫歯なったことないんだよ。悔しいよなー」
反対側から芳野先生が囁く。
さすがだなあ、と思いながら風見先生を見ると、先生はふわふわと笑う。
「僕はあんこ系が好きかな」
「風見の好物なんか訊いてねえよ」
「お饅頭とか美味しいよね」
二人のやりとりに私はまた笑ってしまった。
「でも芳野先生も、もうずっと虫歯になってないんだよね」
「ああ、結局あの治療で懲りて、あれからは気をつけてる。……だから、患者さんにも、あんまり神経の治療は受けてほしくない。辛いし、歯も脆くなるし」
そっか。自分が経験したことがあるからこそ、先生はこの前私に厳しいことを言ったんだ。
最後は独り言のような芳野先生の言葉を聞きながら、私は腑に落ちていた。
「なんか余計な話してごめんな? ま、だから全然、泣いちゃってもうまくできなくても気にしなくていいってこと」
「そっか……いいのかな……」
「いーの」
先生がにっと笑う。
先生も頑張って治したんだ。なんだか、不思議とさっきより心強い気がした。
「……あ、あの、続き、頑張ります。治療……してください」
やっと言えた。
怖くないと言ったら嘘になるけど、さっきよりはできそうな気持ちだった。
「お、いけそう? じゃあぼちぼちやるか」
「もうあと少しだよね」
「ああ、でもまた休憩してもいいし、そのときは教えてな?」
「はい」
「無理しないこと」
最初から何度も言ってくれた言葉をまた繰り返されて、私は頷いた。