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 今日も朝寝坊だ。
 兄ちゃんに治療を頼めないまま年が明けてしまった。よく考えてみたら治療してからインレーが入るまでには1、2週間かかるわけで。明日にはもう一人暮らしをしている自分の家に帰る予定だし、今から頼んでも遅い。というかもともと、この短い帰省中に治療を終わらせるっていうのは無理な話だったのだ。学校が始まるまでにはまだ何日かあるし、それまでに歯医者行けばいいんじゃないかな。今年最初の実習までにはたぶん間に合……わないか。
 これまでの実習で治療していない虫歯はもう散々見られているのに、治療中の歯を見られるのはまた別の恥ずかしさがある。兄ちゃんに相談だけでもしようかな。
 枕元の時計を見ると10時前。のそのそと布団から出てリビングに向かった。
「おはよう、謙斗」
 食卓テーブルで朝食をとっていた兄ちゃん、結斗ゆいとが俺に気づいた。バターののったトーストとコーヒーの良い匂いが漂っている。兄ちゃんにしては遅い朝食だけど、このあと出かけるのか身支度はしっかりしていた。
「おはよう。一人?」
「うん、父さんと母さんは出かけた」
「ああ……そういえば初売りに行くとか言ってたっけ」
「そうそう」
 俺も何か食べよう。おせちもまだ残ってたけど、トーストでいいや。オーブントースターに食パンを入れ、ついでにレンジで牛乳も温める。冷蔵庫からジャムを出してテーブルに戻ると、兄ちゃんはもうトーストを食べ終わろうかというところだった。
「兄ちゃんもどっか行くの、今日」
「ああ、ちょっと友達と約束してて。謙斗は?」
「俺はヒマ。友達とももう会ったし……帰る準備でもしようかな」
「じゃあお土産を買ってこようか? 今日買っとけば楽だろ」
「あー……いい。荷物増えるし、空港で買う」
 そっか、と兄ちゃんはあっさり引き下がり、空になった皿とマグカップを手に立ち上がった。
「ごめんな、もう時間だから出かける」
「うん」
 忙しそうだ。こんなときに歯の相談なんかしても迷惑だな。
 たぶん歯を磨きに、兄ちゃんがリビングを出て行く。俺はちょうどトーストが焼けたので取りに行き、ホットミルクと一緒に持って戻ってきた。
 トーストにはバターとジャム、ホットミルクには砂糖。こうするのが好きだ。我ながら甘すぎだと思うし罪悪感がないわけじゃないけど、今さらやめたところで歯の状態は変わらないし、それならせめて好きなように、美味しく食べたほうがいい気がする。と、いつもの言い訳を繰り返してからトーストをかじった。
 甘くて美味しい。でもそう思ったのは最初の何口かだけだった。気をつけていたのについ右側で噛んでしまって、思っていた以上に痛い。まずい……かも。右上の5番と6番の間、ちょうど虫歯になっているそこに挟まってしまったみたいだ。嫌な圧迫感と痛みに食事どころじゃなくなってくる。
「謙斗ー、1個だけお願いしていい?」
 足音と声が近づいてくる。どうしよう。歯が痛いってこういう情けない形でバレたくない。なんともないふりしないと。慌てて真顔を作ろうとする。でも頬を押さえた手は離せず、滲んだ涙も引いてくれなかった。
「謙斗?」
 兄ちゃんと目が合う。
「……えっと。ちょっと口の中噛んじゃった」
 あはは、とわざとらしく笑いながらやっと頬から手を離す。何か言われるだろうと思っていたのに、兄ちゃんは「気をつけろよ」と笑っただけだった。
「必要なら薬もあるし、歯医者においで」
「でも今日休みだろ」
「いや……実はこれから開ける用事があるから」
「開ける用事?」
「友達が銀歯取れちゃったって言ってて」
 友達と会うって、そういうことだったのか。
「たぶん昼前くらいまではいるから、来るときは一本連絡して」
「……ん。わかった」
 どうせ行かないな。今さら相談するのも気まずいし、早く歯に挟まっちゃったのを取って、あとは自分でなんとかしよう。帰ったら早く歯医者の予約取らなきゃ。でも、そういえば歯医者の予約ってどうやって取るんだっけ。今まで家で治療してもらっていたから一人で歯医者を予約して行ったことがない。みんなどうやって行くところを選んでるんだろう。それに一人で行くの、怖くないのかな……。
「謙斗」
 はっと顔を上げると兄ちゃんが真顔で俺をじっと見ていた。
「皿洗いだけ頼んでいい? 俺の分まで悪いけど」
「え? うん」
 ……なんだ、今の顔。一瞬怒られるのかと思った。
「ありがとう」
 そう言った兄ちゃんはいつもの見慣れた笑顔だった。そう、だよな。気づいてないんだもんな。
「謙斗、痛いのは我慢するなよ」
「う、うん」
 じゃあ行ってくる、と兄ちゃんが玄関に向かう。
 気づいて……ないんだよな。本当に?