落書きまとめ - 9/11

*何年も前に書いたカレカノ

ベッドに入って眠気が来るのを待つけれど、いっこうに瞼は重くなってくれなかった。
歯医者に行く前の日はいつもこうだ。
どこか歯が痛い気がするのは明日治療する予定の歯かもしれないけど、いまいちどこが痛いかも分からないし、深く考えたくもなかった。
目を閉じると、今までに受けた治療のことが脳裏によみがえってきて、じんわりと目頭が熱くなる。
こんなとき、そうが手を握ってくれてたらいいのに。

颯は私の彼氏で、歯医者さんだ。
小さい頃の経験が原因で歯医者がとても苦手な私の治療を担当してくれている。
今までに彼の治療を二回受けたけれど、泣いてばかりでなかなかスムーズに治療を受けられない私を怒ることもなく、優しく治療してくれた。
彼は優しいけど、歯医者さんが怖くて長い間虫歯を放置していたせいで治療はいつもすごく辛い。
明日治すところもけっこう大きな虫歯だと言われていて、たぶん痛い治療になることはよくわかっていた。
そして、颯は私がだんだん歯医者に慣れていけるように、治療を受けるのとは別にいろんな目標を作ってくれている。
明日の目標は、一人で歯医者まで行くこと。
今までは前の晩に颯の家に泊まって、翌朝に彼の車に乗って歯医者まで連れて行ってもらうという流れだった。
だから歯医者にいく前日に一人で過ごすのも、一人で歯医者まで行くのも初めてだ。
そんな普通の大人には当たり前にできることが私にはすごく難しい。
ちゃんと一人で行けるかな、治療がんばれるかな……
そんなことを考えていたら心細くてたまらなくなって、とうとう我慢していた涙が溢れ出してしまった。
「そう……」
どうしよう。電話していいかな。
枕元に置いていた携帯の画面を確認すると、もうすぐ日付が変わる時刻だった。
颯は寝てる。
電話をかけることはできなくて、私は画面を消して頭から毛布をかぶる。また涙が一粒零れた。

携帯が小さく振動したのはそんなときだった。
『起きてる?』
届いていたのは颯からのそんな短いメッセージ。
慌てて「起きてるよ」と返すと、すぐに電話がかかってきた。
「颯……?」
「あ、美都みと。ごめんな遅くに」
「ううん! 全然。……私も電話したいなって思ってたから」
「よかった。美都大丈夫? 眠れなくなってない?」
「ん、……うん。だいじょうぶ」
ちょっとだけ声が震える。
本当は甘えたかったのにいざ颯の声を聞くとそれができなかった。だって明日もきっとたくさん困らせるのに、前の晩から泣き言は言えない。
それに、明日は一人で頑張らないといけない日だから。
「ほんとに?」
「ほんと」
「……美都、泣いてるんじゃないの」
「泣いて、ないっ……」
そう言っているそばからまた涙が零れて、嗚咽が漏れる。
これじゃ全然否定になっていなかった。
「ねえ美都」
電話の向こうで颯が優しく語りかける。
「ちょっとだけ待ってて? 美都の家まで行くから。ね、一回電話切るけど、泣かないで待ってて」

「ごめんね、こんな夜中に」
ソファの上でブランケットにくるまり、颯にくっついて座りながら私は彼に謝った。
颯の家は近所というわけではない。この時間にわざわざ車を出して来てくれたんだと思うと、申し訳なかった。
「ぜーんぜん? 俺のほうこそ、一人にしてごめんね」
私はふるふると首を振った。
「一人で頑張らないといけなかったのに……」
「え? そんなことないよ、美都」
「だって、明日は一人で歯医者さん行く日なのに、今からこんなんじゃ……」
「明日と今はまた別でしょ? 夜にいろいろ考えると怖くなっちゃうときあるよね、わかるよ」
「……そうなの。明日のこと考えたら、心細くて、どうしようもなくて……っ、がんばりたかったのに……」
全肯定されたことで我慢していた気持ちが涙と一緒に溢れて、止まらなくなってしまう。
颯がそっと私の背中をさすってくれた。
「明日、こわい……歯医者さん行くのも、治療も……全部、やだ……」
なに言ってるんだろう。
いい大人が、しかももう三回目なのに。いつも同じようなこと言ってるのに。
そんな私の言葉に、うん、うん、と相槌を打ちながら、颯は最後まで聞いてくれた。 
ひととおり気持ちを吐き出し終えると、颯がそっと私を抱きしめる。
「ん。やだね、歯医者さん。なのによく頑張ってるよ、美都は」
颯の腕の中で私はまた首を振る。
「頑張ってるよ。それは俺が一番よく分かってる」
髪を梳くように撫でられて、またじわりと涙が滲んだ。
「けど、一人で頑張らなくていいんだよ」
「でも」
「たしかに、明日は一人でおいでって言ったよ? でもそれは、怖い気持ちとか辛い気持ちも全部ひとりで我慢してってことじゃないよ」
「……我慢しなくていいの?」
「もちろん。俺もいるよ。明日も一緒に頑張ろう? ね」
「ん……」
颯が独り言のように「一人でおいでって言うの、ちょっと早かったかな」と呟く。
少し体を離して、颯が私の顔を覗き込んだ。
「やっぱり明日も迎えに来ようか」
気持ちが揺らぐ。
お願いしたらちょっとは気持ちが楽になる気がした。
でもやっぱり、できるところまでは頑張りたい。
「ううん、ひとりで行ってみる」
「大丈夫? 無理してない?」
「ちょっと、無理してる」
もう、と苦笑する声。
「でも、行くとこまでは頑張る。そのあとは……またいっぱい泣いちゃうと思うけど……」
颯はまたぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「わかった。でも、もし来る途中で無理そうと思ったらすぐ俺に連絡して」
「うん」
「待ってるからね」