陽太は水の入ったコップと鎮痛剤を手にすぐ戻ってきた。
それを受け取って、薬を飲む。
空になったコップを陽太が私の手から取ってサイドテーブルに置いた。
「……ごめんね、陽太」
ベッドの上で並んで座っている陽太に鼻声で謝ると、陽太はまたそっと背中をさすってくれた。
「全然、謝んなくていいよ。それより、ずっと痛いの我慢してたんじゃない? 俺も気づかなくてごめんね」
「ううん、急に、痛くなったの。パフェ食べてるときからちょっと変かなとは思ってたんだけど……」
「そっか。急だったら怖かったよね」
治療するように言われてた歯なんだから、本当は急だったわけじゃない。陽太もそれはわかってるはずなのに全然責めずに受け止めてくれて、ちくりと胸が痛んだ。
「……ちょっとさ、俺に見せられる?」
「え……」
恐れていた言葉を言われて肩に力が入る。
「見るだけだよ。ね? ふみのこと心配なんだよ」
罪悪感を抱いていたところにそんな優しい声で言われて、嫌とは言えなかった。
「……見るだけなら」
そう言って頷くと、心配そうだった陽太の表情がふっと和らぐ。
「ありがと。じゃあ、ちょっとこっち向いて」
言われるがまま、顔を陽太の方に向けると、そっと両手で頬を包まれて、優しく顎が持ち上げられた。
「はい。あーん」
なんかふみにこれ言うの照れるね、と陽太が笑う。その笑顔につられて私はすんなり口を開けてしまった。
「んーと……右下、かな……?」
私の口の中に視線を走らせた陽太はわりとすぐにそう呟いた。やっぱり、一目見てそこがひどいってわかるんだ。前見たときはそうでもないと思ってたのに。最近怖くて鏡を見ていなかったけど、きっと前よりひどくなっているに違いなかった。
「これ、痛かったね……」
あんまり見ないでほしい。口を閉じかけると、「あ、ごめんね」とすぐに陽太の手は離れていった。
ひどい虫歯を見た歯医者さんがこの後言うことなんて、一つしかない。私は俯いて陽太の言葉を待った。
「ふみ」
いつも通り穏やかな陽太の声に、おずおずと顔を上げる。
「痛いところだけどね、やっぱり虫歯さんになってるかなあ」
「……うん」
「早く治したほうがいいかなって感じだね。痛いの、ふみも辛いでしょ? できれば今日とか……」
「今日……」
思っていた通りの、あんまり言われたくなかったことを言われて私はうまく頷けなかった。
「今日、ふみがいつも行ってる歯医者さんお休みだよね。……俺が治しちゃだめかな」
それも、言われるような気がしていた。
でも、それだけは嫌だ。そうするくらいなら、少し痛いのを我慢して休みが明けてから、いつもの歯医者さんに行ったほうがいい。
「嫌?」
「いや……」
「やっぱり恥ずかしい?」
「……それも、だし……」
「だし?」
陽太に診てもらわずに別の歯医者さんに行っている理由。それを私はずっと「恥ずかしいから」と伝えていた。もちろん恥ずかしいのも本当だったけど、一番の理由はそうじゃない。怖いからだ。
陽太は、私の苦手な歯医者さんじゃなくて彼氏のままでいてほしい。もし陽太の治療を受けて、彼のことまで怖くなってしまったらと思うと、治療してもらうのは絶対に嫌だった。
「陽太のこと、嫌いになりたくないの……わ、私、歯医者さん、こわくて」
涙腺が緩みきってしまっているみたいで、またぽろぽろと涙が零れだした。
「陽太が、私の苦手な歯医者さんになってるとこ、見たくないの」
声を詰まらせながらそう言うと、陽太はそっと私を抱き寄せてくれた。
「歯医者さん怖いんだね、ふみ」
「ん……」
「なのによく頑張って通ってたね」
優しく頭を撫でられて、私は陽太の胸に顔を埋めて泣き声を漏らしてしまった。
「違うの……私、途中で逃げちゃって……ここも、ほんとは早く治そうねって言われてたのに……」
「……そっか」
「ごめんなさいっ、陽太……今度こそ、ちゃんと歯医者さん行くから……」
「ひとりで行くの?」
「ひとりで、行く……」
だって陽太に迷惑かけたくない。恥ずかしいところも見せたくない。ましてや、痛いことされたくない。
だけど陽太はそっと私の体を離して言った。
「……俺、ここまで聞いてふみをひとりで頑張らせるの嫌なんだけど」
「え?」
逃げ道を失った予感がして、私は体を後ろに引こうとしたけど陽太に手を握られてしまった。
「ふみがなるべく怖くないように、俺も精一杯努力するよ。……一緒に頑張ってみよう? ね?」
形のいい大きな瞳が真剣な色で私を見つめてくる。陽太は優しいけれど、時に頑固なのを私はよく知ってる。今だってたぶん、頷くまで離してくれない。
「……わかった……」
仕方なく私は頷いた。