「あずさ」
どれくらい時間が経ったんだろう。
背中で扉が開く音がして、心配そうな颯の声が聞こえた。
「遅いから、心配になって」
ここで泣き顔を見せたら、もっと心配されてしまう。
私は溜まっていた涙を拭って振り向いた。
「ごめんね、ちょっと立ちくらみしちゃった。大丈夫」
下手な言い訳をして、何事もなかったかのように笑ってみせる。
大丈夫。ごまかすんだ、このまま。
歯医者さんが嫌いなんて言えるわけなかった。
「大丈夫って、すごく顔色悪いけど」
「そう? でも全然、なんともないよ」
「ほんとに? ほら、立てるか?」
颯が屈んで私に手を差し出す。
「あ……」
ぞくりと背筋が寒くなった。
男の人らしい、指の関節が目立つ大きな手。
歯医者さんの手なんだ。
「だ、大丈夫。自分で立てるから」
その手から目を逸らして、私は立ち上がる。
「ごめんね、席戻ろう」
颯の視線には気づかないふりをして、私は彼の前を横切った。