「あずさちゃん、外川さん来たよ!」
街中にある、勤務先のコーヒースタンド。
香ばしい薫りに包まれた居心地の良い場所だ。ランチタイムを過ぎて一息ついていると、道行く人たちの流れを外れてこちらに近づいてきた一人の男性がいた。彼を見つけてオーナー夫人の智絵里さんがささやく。
「ほら、行っておいで」
「な、なんで私が」
「いつも楽しそうにおしゃべりしてるじゃないの」
「そんなことないですって」
「そんなことあるわよ。ほら、お客様をお待たせしない」
背中を押されて、私はカウンターで待っている外川さんの所へ向かう。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「サンドイッチと、ホットコーヒーをブラックで」
「ありがとうございます。ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい」
智絵里さんに注文を伝えてレジを打っていると、「髪、切ったんですね」となにげない調子で言われて心臓が小さく音を立てた。
「わかりますか」
「うん、春っぽくていいですね。似合ってる」
似合ってる、だって。
それだけの言葉でもう舞い上がってしまいそうだ。緩みそうになった口元を引きしめて、ううん、きっと外川さんは誰に対しても言う人なんだと自分に言い聞かせた。
外川さんはこの近くで働いているらしく、よく昼食を食べに来てくれる。さっぱりとした短めの黒髪に端正な顔立ち。コーヒーは絶対ブラックで甘いものはあまり食べない。
最初はクールな人という印象だったけど、毎回「美味しかった、ごちそうさま」と爽やかな笑顔で言ってくれるところに惹かれていき、最近は外川さんが来店するたびに言葉を交わすのがひそかな楽しみになっていた。
智絵里さんはそんな私の気持ちに気づいているらしく、外川さんと私を引き合わせようとしているみたいだった。
お会計が終わって、智絵里さんがコーヒーとサンドイッチの載ったトレイを外川さんに渡す。
「今日のサンドイッチ、あずさちゃんが考えたメニューなの」
「あ、そうなんですか」
外川さんがサンドイッチに目を落とす。色とりどりのたっぷりの野菜と、チーズ、チキンをサンドしたボリューミーなサンドイッチ。
「岬さんの考えたメニュー、いつも美味しいから楽しみだな」
「あ、ありがとうございます」
にっと笑った顔を向けられて私は人に見せられる表情を保つのがいよいよ難しくなってくる。今日は髪も褒められて、メニューも褒められて、こんなに幸せでいいんだろうか。
「今回もお口に合うと嬉しいんですけど。あ、コーヒーのおかわりがほしいときは仰ってくださいね!」
「ありがとう」
外川さんが窓際の席に腰掛けたのを見届けて、私はほうっと息を吐いた。顔が熱い。
「よかったね、あずさちゃん」
「もう、智絵里さん。わざわざ私の考えたメニューだって言わなくていいんですよ?」
「あら。言ってよかったじゃない。外川さん、あずさちゃんの考えるメニュー好きだって。胃袋の掴みはいい感じね」
智絵里さんがぐっとガッツポーズする。
「だ、だからそんなんじゃないですって」
「またまた。どう? もう少しグイグイ行ってみたら」
「無理です……!」
「もう、奥手だなー。外川さんずっと前からこのお店に来てくれてるけど、あんな好青年なかなかいないわよ? あずさちゃんとお似合いよ」
智絵理さんがそう言ってくれるのは嬉しいけれど、外川さんとこれ以上距離を縮めたいかというと私はあまり乗り気ではなかった。
あんなに素敵な人だもん、きっと彼女がいるに違いない。会って、たまにお話できるだけで十分。そう思っていた。