もう少しって言われたからあれで終わりだと思ったのに。
だいぶ深い所まで削ったから薬を詰めると言われて、その前にかけられた風がめちゃくちゃ沁みた。
「んぅぅーっ……」
薬を塗られている間もまだ痛い。
「……ん、終わったよ、理玖。椅子起こそうな」
うがいをして手の甲で涙を拭っていると夏兄がごろごろと椅子を転がしておれの隣まで来る。
はい、とタオルが差し出されたけどおれは顔を背けた。
「夏兄のばか」
「ごめんな。思ってたより虫歯が大きくて……痛い思いさせたな」
「……放置してたおれが悪いって言いたいんだろ。わかってるよ」
「そんなこと言ってねえよ」
嫌な空気が漂う。
倉木さんが一度診察室を出て行って、型取りの道具を持って帰ってきても夏兄とおれは微妙な雰囲気のままだった。それを察したみたいに倉木さんはまたどこかへ行ってしまった。
「……とりあえず、型取りまで終わらせるか」
口開けて、と言われてせめてこれくらいはと思って素直に開ける。
でも型取りも苦手だ。気持ち悪いし、苦しいし。
夏兄が型取りの道具をおれの口の中に入れて押さえている間、気持ち悪いのを我慢していると、「理玖、ごめんな」とまた謝られてしまった。
「昨日からいろいろとさ。お前に余計辛い思いさせたな」
もう謝らないでほしい。そんなこと言われるともっと責められてるみたいだ。
「今日も俺、ちょっと焦って。理玖のことあんまり気にしてやれなくて」
もうちょいゆっくりやればよかったな、と夏兄が眉尻を下げる。その顔はなんだかすごく悲しそうに見えた。
そんなことないのに。たしかにあんまり休憩はしてくれなかったけど、ずっと優しく声をかけ続けてくれたのはわかってるのに。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。
タイマーが鳴って、型取りが終わる。
仮詰めまでしてもらって、うがいをすると、夏兄がエプロンを外してくれた。
「お疲れ」
手袋を外した手でぽんと頭を撫でられる。
「よく頑張ったよ、理玖」
「……うん」
歯医者さんじゃなくて昔からよく知ってる夏兄が帰ってきた気がして、じわっと涙が滲んだのを隠すように俯く。
「ほら、もう泣くなよ」
夏兄がおれの前に屈んで、大きな手で頬に残った涙を拭ってくれた。
「懲りずにまた来てな?」
懲りずにってお願いしないといけないのはおれのほうなのに。
「な、夏兄」
「ん?」
「……また来る」
それ以上何か言ったらまた泣いてしまいそうで、ありがとうもごめんなさいも言えなかったけど、夏兄は「言ったからなー」と笑いながらおれの頭をくしゃくしゃと撫でた。