口の中は夏兄と倉木さんが持っている機械や器具でいっぱいになっている。
麻酔をしてもらって、削り始めてからどれくらい経ったのか。沁みるような気がしたところで機械の音が止まった。
そろそろ休憩してくれないかな……。
そんなおれの気持ちとは裏腹に口の中にはミラーが入れられたままだし、夏兄を目で追えばその手には先の尖った器具。それはあっという間に口元に近づいてきて、おれは思わず口を閉じそうになってしまった。
「理玖、あーん」
ミラーでそっと内頬が押される。
恐る恐る口を開き直すと尖った器具が口の中に入ってきて、左上がカリカリと引っかかれた。
「んっ!」
はっきりとした痛みを感じて声が漏れる。けど夏兄はそれにはお構いなしといった様子でじっとおれの口の中を見ていた。
「うーん……思ったより広がってるな……」
独り言のような低い声を聞いて、どくんと心臓が跳ねる。
「ごめん理玖、もう少し頑張ろうな」
夏兄が機械を手に取り、手早く先を付け替える。
まだまだ削るんだ……。
「じゃあ、続きしていくな。あーんして」
もう? さっきの痛みもまだ残ってるのに……。
「理玖?」
「ま、待って」
早く口開けないと。
わかってるのに、さっきの痛みと、この前の痛みまで思い出して、涙が零れただけだった。
怖くてたまらない。
痛いのも怖いし、やっぱり今日の夏兄はなにか違う気がする。どんどん治療を進めようとするし、さっきおれの歯を見てたときの低い声も。こんなになるまで放っておいてって思ったのかもしれない。
「理玖」
「待ってって!」
「あ、いや、ゆっくりでいいよって言おうと思って――」
「ちゃ、ちゃんと、するから!」
何も耳に入ってこなくて、夏兄の言葉を遮るように言い返してしまう。
「痛くしないで……」
「理玖」
「もう、歯医者、さぼったりしないからっ、だから」
「理玖、ちょっと落ち着け」
浅い呼吸に合わせて上下している胸がとん、と軽く叩かれる。
「俺もわざと痛くしてるわけじゃないよ」
「……怒ってもない?」
「ないって。どうしたんだよほんと。まだ昨日のこと気にしてるのか?」
そうなのかも。怒られるかも、という思いが頭から離れない。
「理玖がちゃんと治療受けるなら、怒ったりしないから」
「……ん」
「大丈夫だよ。ちょっと休憩して、続きできそうって思ったら教えてな」
夏兄はおれの涙が引くまで少し待ってくれて、それから治療が再開された。
機械が大きな音を立てながら口に入ってくる。
「……あ、あっ、」
ツキンと鋭い痛みに思わず声が漏れて小さく体が跳ねた。
「理玖、危ないからじっとしててな」
あっという間に涙が溜まる。
止まれ止まれと思うのに、全然思うようにいかない。
「んんぅっ、ふ、うぅ」
「ごめんなぁ……頑張ってあーんしようなー」
閉じてきた口の中をそっとミラーで広げられて、機械の先がぐっと押し付けられた。
嫌だ……もう無理かも……。
そろそろと口元に動かしてしまった右手をそっと倉木さんに止められる。
「泣いちゃっていいからな、我慢してな」
泣きたくないのに。でも夏兄にそう言われたせいで堪えきれなくなって、ぼろぼろ泣いてしまった。
それからも機械の先を付け替えたり、薬を塗って水で洗ったり、時々機械じゃなくて尖った器具で削ったり。それを繰り返しながらすごく長い時間削られたような気がした。
「もう少しだぞー」と夏兄の声がして、ゆっくり数えること5秒。やっとやっと、口の中から機械が出て行った。