浅賀の笑顔が西矢は好きだ。
研修医になりたての頃、仕事についていくのに精一杯で、環境にもなかなか馴染めずにいた西矢にすぐ気づいてくれたのが浅賀だった。
綺麗で、格好良くて、近寄り難い印象すら抱いていた先輩歯科医師。そんな人から声をかけられて最初は緊張したが、いつも西矢の話によく耳を傾け、あれこれとアドバイスをし、優しい笑顔で褒めたり労ったりしてくれる浅賀に、西矢はどんどん惹かれていった。
だから虫歯のせいで浅賀の笑顔が消えていくのが気がかりでならなかったし、辛い思いをしているのなら助けになりたかった。治療を頼まれたとき、これでやっと助けられると思った。それなのに。
「大丈夫」
「痛くない」
「だんだん良くなってる気がする」
そんな言葉を重ねる浅賀の笑顔はいつもぎこちない。顔色は常に悪く、痛みに歪む表情も苦しくなるほど見てしまった。
ある程度は仕方がないのは理解している。それでも西矢は不安になった。自分が緊張させているのではないか、無理をさせているのではないか。
なにより、どこにも異常はないのか。自分のミスや、すぐに手を打つべき事態に気づいていなかったらと思うと恐ろしい。だが、症状を訴えられてもいないのに勝手なことはできない。
どうすればもっと心を開いてもらえるのだろうか。
痛くなくなったと笑顔になってもらうのが一番だが、根治も途中で、未処置歯もあるので難しいかもしれない。
でもせめて、無理をせずに気持ちを話してほしい。そう伝えているつもりなのに、西矢の思いは一向に届かないようだった。
「西矢先生、片付けちゃいますね」
元気な声が聞こえて西矢が振り向くと、ベテラン衛生士の寺原が診療室に入ってくるところだった。
「あ……いいです、このままで。あとで片しておきますから」
「今日も練習ですか?」
「はい」
西矢はこの歯科医院に勤め始めてからほぼ毎日、診療時間の前後に治療の練習をしている。
それならこの辺残しときますね、と寺原はテキパキと器具をまとめ、不要なものをトレイに入れて持ち上げた。
「毎日自主練なんて頭が下がります」
「いえ……俺が一番経験がないので。早く皆さんに追いつきたいです」
「もっと自信持ってくださいよ。なんだか顔もお疲れだし、無理は禁物ですよ」
何気なく言われた言葉に、西矢は首を傾げた。
「疲れてますか?」
「あら、もしかして気のせい? ごめんなさい」
「ああ、大丈夫です。考え事してたからそう見えただけだと思います」
「ならいいですけど。練習に使うものがあれば持ってきましょうか。今日はなにするんです? 根治?」
「いえ、5級のCRを……あっ寺原さん、自分で行きますので」
分かりましたー、と去って行こうとする寺原を追いかけたが、「先生は早くカルテ出しといてください」と言われては西矢も立ち止まるしかなかった。
(寺原さんに心配かけちゃったかな)
疲れた顔をしている場合じゃない。まだ2回だ。治療が全部終わったらきっと浅賀は元気になってくれる。そう信じて全力を尽くそう、と決意しなおす。
「……よし」
西矢は小さく呟いた。