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 盆休み明けの日曜日。勤務先の「あおぞらデンタルクリニック」の前を通り過ぎ、商店街へと足を伸ばした。
 目的地は商店街の端にある洋菓子店。とある患者さんからここのガトーショコラをもらったことがきっかけで時折立ち寄るようになり、最近は月に2、3回訪れている。休日のひそかな楽しみだ。
 前回買った桃のレアチーズケーキはうまかった。今日もまだあるだろうか、と思いつつ、「Patisserie Ciel」と書かれた自動ドアの前に立つ。先客はいないようだ。
「いらっしゃいませ」
 厨房の近くにいたいつもの店員さん、登里のぼりさんがよく通る声で言った後、俺の顔を認めるとトコトコと近づいてきて「こんにちは」ともう一度挨拶をしてくれた。斜めに流した前髪の下、くしゃっと目が細められ、目尻には笑い皺ができた。
 決して、決して下心があるわけではないが……今日も癒される。
「こんにちは」
「外暑かったでしょう? 今日も歩いていらしたんですか?」
「はい。運動がてら」
「健康的ですね! でも熱中症には気をつけてくださいね」
「ありがとうございます。今日は何かおすすめがありますか?」
「おすすめなら桃のチーズケーキが……あ、でも前回購入されましたよね」
「はい。とてもうまかったです」
「ありがとうございます! かなり好評いただいてて。引き続きおすすめです。あとは、秋の新商品でナッツタルトも始まってます」
「ナッツタルト……」
 試してみたいが、キャラメルだろうか、飴状のものでコーティングされた大ぶりのナッツを眺めて結論を出す。これは少し心配だ。
「今日は桃にします」
「かしこまりました。もしかしてナッツは苦手ですか?」
「ああ、いえ、苦手ではないんですが。むしろうまそうなんですが……」
「あの、正直におっしゃってくださいね?」
 登里さんが少し慌てたように言った。接客中はいつもマスクをしているので目から上しか見えないが、登里さんはわかりやすく表情が変わる。
「いえ本当に……まあその、正直に言うとちょっと調子が悪いというか……歯の……」
 そう言った途端、登里さんが目を見開いた。かと思えば一つまばたきをして、そして曖昧な笑みを浮かべる。
 ああ、どうして正直に言ってしまったのだろう。歯が痛いのにケーキ買いに来たんだって呆れられたな、これは。
「普段は大丈夫ですし軟らかいものは大丈夫なんですが」
 なに余計なことまで喋っているんだ俺は……。
「すいません。どうでもいいですね……」
「い、いえ、お大事にされてくださいね」
「ありがとうございます……なので、今日は桃のレアチーズケーキ1つで……」
 店を出るまで登里さんとの間にぎくしゃくとした空気は残ってしまった。
 家に帰って食べたケーキは前回のほうがうまかったような気がした。