前日譚 - 5/7

 麻酔が効くまで待った後、芳野先生がライトに手をかけながら訊く。

「続きできそう?」

 やらなきゃ、と思うのに。さっきの痛みを思い出すと、首を縦に振れなかった。
 返事をしないままの私を見て、先生がライトを押し上げる。

「……もう少し休憩しようか。できそうになったら教えてな」

 そう言われたのに、私はいつまで経っても「できます」と言えなかった。痛い、怖い、頭の中はそればっかり。
 どれくらい待ってもらったのか、とうとう先生が私の顔を覗き込み、尋ねた。

「和瑚ちゃん、そろそろどうだ?」

 質問の形ではあるけど、これ以上待てないと言われたように感じた。いつまでも待てないのは当たり前だ。次の患者さんだっている。

「……大丈夫、です」
「ありがとな。じゃあ続きしていくよ」

 また嫌な音が鳴り始め、麻酔が効いてますように……と祈りながら口を開ける。機械の先が歯に触れた瞬間、顔を顰めてしまった。
 さっきとあまり変わってない気がする。

「痛いかな……」

 倉木さんが気遣うように手を撫でてくれた。

「ん、んぅ……」

 止まっていた涙がまた目の縁に溜まり出す。

「ごめんな、麻酔効いてないな」

 そう言いながら芳野先生は手を止めようとしなかった。もうどれだけ麻酔を足しても同じなのかもしれない。
 ずっとこんなに痛いままなの? 不安が膨らんでいくうちに、ずきん、とまた一段と強い痛みが突き抜けた。

「あぅ」

 閉じかけた口の端を先生が指で引っ張る。

「あーん」
「あっ、んぅ」
「和瑚ちゃん、あーん。深いところだからちょっと我慢してな」

 そう言いながら先生はぐっと機械の先を押し付けた。

「んあぁぁっ」

 やだ、やだ……止めて……。先生を見上げるけど、全然気づいてくれない。私は機械から逃げるように顔を背けようとした。

「動いたら危ないよ」
「あっ……」

 先生が大きな手でがっちりと私の顎を固定する。
 痛みを伴って機械の先が歯の奥のほうへ潜り込んでくるのがわかった。

「やらぁ……っ」

 涙が溢れ出す。
 気がつけば、無意識のうちに動かしていた右手を倉木さんに掴まれていた。

「ごめんね和瑚ちゃん、手は動かさないでね」
「や、いやぁ」
「辛いよね、手繋いどこうね」

 倉木さんが私の手をお腹の上に戻し、ぎゅっと握る。
 芳野先生は黙ったまま手を動かし続けた。いつもなら先生はもっとたくさん声をかけてくれるのに、とぼんやり思う。
 もっと早く来ればよかった。そうすればこんなに痛い思いもしなくて済んだし、芳野先生に怒られることもなかったのに。胸の中は後悔でいっぱいだった。