20歳の冬 - 2/6

 20歳になった年、冬休みに帰省した俺は地元の友達と飲みに行くことになった。
 久しぶりに会う友達と過ごすのはとても楽しみだったけど、気がかりがひとつ。進学前からCOだと言われていた前歯が沁みるようになっていた。
 でもお酒を飲んで友達と話すうちに症状は気にならなくなり、楽しい気分のまま友達と別れることができた。この歯はまだしばらく大丈夫かなとふわふわした頭で考えながら歩いて家に戻る。その年は実家がリフォーム中で、俺は近くで一人暮らしをしている兄ちゃんの家に泊まっていた。

(あれ……)
 異変に気づいたのは、ちょうど家に着いた頃だった。
 なんだか、気持ちが悪い。
「ただいま」
 家に入るとまっすぐキッチンに行き、冷蔵庫から水を出す。前歯が沁みることを思い出したのは水を口に含んだ後だった。
「んっ……ぅ……」
 口を押さえたかけたちょうどその時、「おかえり」と兄ちゃんが部屋から出てきた。
「謙斗?」
「なんでもな……っ」
 ごまかそうとしたけど、あまりの痛みに顔を顰めてしまったし息もこぼれてしまった。兄ちゃんがすぐ横にいるのにもかかわらず、唇の上から指で歯を強く押さえてしまう。
 まだしばらくは大丈夫かもと考えたばかりだったのに。痛み、焦りやよく分からない悲しさ、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになって涙が浮かんできた。
「……謙斗。ひとまず、向こうに行って座ろう」
 兄ちゃんがすべてを察してしまったのがわかった。両肩に手を添えられ、俺は兄ちゃんと一緒にリビングへ向かった。

 ソファに俺を座らせ、兄ちゃんは俺の前に屈む。
「歯が痛い?」
 もう逃げられないと思った俺はゆっくり頷いた。こうなってしまったら、下手にごまかすほうが恥ずかしい。
「前歯。兄ちゃんに言われてた所」
「見せて」
 兄ちゃんが俺の上唇に指で触れる。小さく口を開けると、唇がそっと捲られた。
「右の2番だよね」
「ん」
「……結構前から沁みてたんじゃない?」
 唇から手が離れる。
「そんなに前じゃ……もうしばらく大丈夫だと思ってたんだけど」
 そんな場面じゃないと頭ではわかっていたけど、平気そうなふりをしたくて少し笑ってみる。
「夏に帰ってきたときは」
「あ、あのときは」
 兄ちゃんが検診を勧めてくれたのに、都合が合わないと言って断った。あの頃から違和感はあったなんて言えるはずがない。
「あのときは、大丈夫だった」
 そう言い切った瞬間、兄ちゃんの眼差しが厳しくなった気がした。何か言いかけたようにも見えた。でもそれは一瞬で、兄ちゃんはそれ以上問診じみた質問はせず俺の隣に座った。
「アルコールも入ってるし、今日は特に痛んだのかもな」
「そうかも」
「歯以外に気分が悪かったりしない?」
 俺を見てそう尋ねた兄ちゃんは怒っている様子ではなかった。
 やっと歯の痛みはひいてきたけど、気持ち悪さは残っていた。友達のペースに合わせるうちにいつの間にか飲み過ぎてしまったのかもしれない。そう話すと、兄ちゃんは表情を曇らせる。
「謙斗が俺と同じ体質なら、お酒はあまり強くないと思うよ。気をつけて」
 その言葉に、燻っていた思いが刺激される。
 ぽんと俺の膝に手を置き、兄ちゃんは立ち上がった。
「冷やしてない水があるから、持ってくるよ」
 その広い背中を見ながら、これはぶつけていい思いだっけ、と考えた。そのうえで、言葉にした。
「どうせなら、違うところが似ればよかったのに」
 兄ちゃんが振り返る。
「違うところ?」
「……歯の強さとか」
 後で考えれば、お酒を飲んでいなければ絶対言葉にしなかった思いだった。
 兄ちゃんがまた口を開きかける。でも今度も何も言わず、兄ちゃんは静かに踵を返した。ただその間際、兄ちゃんの表情がとても悲しそうに見えたのは酔いが冷めた後も強く印象に残った。