動画の件で心が晴れないまま数日が経った。
さらに憂鬱なことにその日は定期検診だった。隣の市との境付近に評判のいい歯科医院があり、ここ数年、半年ごとに通っている。
こんな日は虫歯が見つかるのではないか。そんな予感は当たらなかったものの、検診の最後に別の指摘を受けた。
「城戸さん、最近歯ぎしりされているみたいですね」
「え……」
ユニットが起こされ、院長がカルテを確認する。
「前回は気にならなかったのですが。最近特に疲れたりストレスを感じたりすることはなかったですか」
前回というと、半年前。ちょうど青海が同僚に加わった頃だ。そして最近のあれこれ。
「……仕事で、少し」
「そうでしたか。続くようでしたらマウスピースを作るといいかもしれませんね。また相談しましょう」
「はい」
「今日はこの後クリーニングをしますので……じゃあ、お願いします」
院長は衛生士さんに声をかけて診療室を出て行った。
少し準備しますねと衛生士さんに言われて待つ間、手持ち無沙汰になる。
歯ぎしりは全く気づいていなかった。虫歯にならないよう食習慣や歯磨きに気を配るだけでは不十分なのだと思い知らされる。今後は歯ぎしりも自分でチェックしなければ……そんな思考は、突然すぐそばから聞こえてきた声に遮られた。
「え? 2年ぶり? だめじゃないですか、こんなに治してるのに検診も久々なんて」
院長ではなく別の歯科医師の声だ。パーテーションの向こう、左隣のユニット。すみません、と消え入るような患者さんの声も聞こえた。盗み聞きはいけないとは思いつつも隣に注意が向いてしまう。
「間食もねぇ、だらだら食べてるでしょ? あちこち虫歯になりかけてますけど」
「すみません。気をつけます」
「虫歯は予防できるんですよ。ちゃんと予防して、こんなばからしい病気に悩まないで済むようにしましょうよ」
気づけば手の平に爪が食い込むほど強く拳を握っていた。
歯科医師の言葉の主旨は大体理解できる。患者さんに発破をかけたつもりなのかもしれない。それでも、
「……ばからしい?」
今まさに悩んでここに来たのだろう患者さんに向けてその言葉が適切だとは思えなかった。
「どうかされましたか?」
後ろから衛生士さんが尋ねる。
「ああ、なんでもありません。……隣の先生、前からいらっしゃいましたか」
「最近新しく入りまして。なんというか、ちょっと声が大きいですよね、すみません」
衛生士さんも言葉を選んだのはわかったが、声の大きさの問題ではない。
例えば青海。声の大きさは患者さんには好意的に受け入れられている。いつもは鬱陶しく感じているが、青海が隣にいる歯科医師のようなやつでなくてまだよかったと勝手なことを思ってしまった。
「治す気あります? おうみさん」
また歯科医師の声が耳に飛び込んでくる。おうみさん、というのが患者さんの名前だろうか。ちょうど青海のことを考えていたから聞き間違いかもしれないが。
「あ、あります……。だから、お願いします」
意識して聞いてみると患者さんの声も青海に似ている気がする。
思わず左を向いてしまった。まさか、本当に青海が隣に?
「始めますね、椅子倒します」
「あ、はい。お願いします」
衛生士さんに声をかけられ、慌てて返事をして背もたれに寄りかかる。
クリーニングが始まると、バキュームとスケーラーの音にかき消されて隣の声は聞こえなくなった。