「おはようございまーす!」
受付で今日の予約を確認していると、溌剌とした声が耳に飛び込んできた。「おはようございます」「おはよう青海」「ちょっと焼けた?」と他の同僚たちの声も聞こえる。そんなやりとりと足音は次第に近づいてきて、すぐ横で止まった。
「おはよう、城戸先生」
パソコンのモニターから目を上げると、俺と同い年の歯科医師、青海謙斗が笑顔で立っている。
「おはよう」
それだけ返して俺はパソコンに視線を戻す。青海は受付に入ってくると俺の背後を通り、奥にいた歯科助手の森さんにも声をかけた。
「おはよう森さん。これ、お土産買ってきたんだけどどうすればいい?」
青海は旅行に行くと言って昨日まで連休を取っていた。後ろで紙袋からなにかを取り出す音がする。
「わぁ、チョコミルフィーユ! ここの美味しいんですよね」
「森さんがそう言ってたから買ってみたよ」
「ありがとうございます。じゃあスタッフルームに持っていきますね。お土産はいつもコーヒーメーカーの横に置いてて、皆さんそれぞれ取ってもらってるんです」
「あ、そうなんだ。じゃあ自分で置いとくね」
「いいんですか?」
「もちろん。忙しいのにありがとう」
青海は受付を出ていった。
「青海先生今日も素敵ですね」
森さんが弾んだ声で話しかけてくるが、「はぁ」と曖昧な返事しかできない。
青海がこの歯科医院で働き始めて約半年、同僚や患者さんたちから彼の良い評判は嫌というほど聞いてきた。優しい、スキルが高い、明るい、勉強熱心、顔がいい、等々。
だが俺の青海に対する印象は最初の自己紹介のときから変わっていない。ふざけたやつだ、と思った。「虫歯の多いだめな歯医者ですけど仕事は精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」と、一言一句覚えているわけではないがそのようなニュアンスのことを笑いながら堂々と言ってのけた。おまけに笑ったときに左上の5番あたりに光るものが見えて、彼の言葉が本当であることをよく物語っていたものだ。
しかし、初日こそスタッフからは失笑が漏れたものの彼は持ち前の明るさであっという間に皆に溶け込んでいき、現在の彼の評判については前述の通りだ。虫歯の多い人間とは付き合えないだの友人にもしたくないだのかつては馬鹿にしていた同僚も青海のことは気に入っているのか、「人間やっぱり大事なのは中身」とあっさり宗旨替えしていた。今となっては彼の虫歯が多い話は自虐ネタとして定着し、周囲も一緒になって笑っている。
しかしそんな様子を見るたびに思う。
そんな笑い事じゃないだろ、と。
いくら仕事ができて性格が良かろうが、歯科医師のくせにそんな口腔状態であまつさえそれをネタにしている青海をどうしても受け入れられなかった。平気な顔をしてお土産に甘味を買ってくるのも不思議でならない。俺なら絶対にできない。
俺は、自分の唯一の処置歯、インレーの入っている右上6番を許せないのだから。